ここでは、北楠葉公園 について紹介します。

在所:北楠葉町36

【ポイント】

①.この公園から北側の斜面一帯の宅地開発で多くの遺跡を発見した。

  ※ この付近で発掘された遺跡は旧石器時代のものもあり、「楠葉東遺跡」と呼ばれてます。

②.四天王寺の瓦を焼いたと思われる窯跡を検出。

③.燃料の木材が入手でき、男山で良質の粘土の採取が可能で、且つ、淀川の船運が活用できる立地。

④.当公園に、その説明板を設置することで遺跡の存在を記録。

【関連写真】

 北楠葉公園入口2017_03_14 金只   北楠葉公園全景2017_03_14 金只   

 楠葉東遺跡&平野瓦窯群説明版2017_03_14 金只   説明板(内容))2013_07_21 金只   
  

【補足説明】

①.楠葉北公園の説明板より

 1974~75年にかけて行われた、付近一帯の宅地造成に先立つ発掘調査で、平安時代後半以降の土器を焼いた窯跡などが発見されたほか、黒色土器・瓦器などが大量に出土し、このあたりは、「梁塵秘抄」にうたわれた土器つくりの郷と考えられます。また最下層からは、有舌尖頭器(やり先)・ナイフ形石器など旧石器時代の石器類が約800点出土しました。

 さらに、1978年には、ここから約50m北方の京都府境の丘陵斜面で、東西に並ぶ6基の窯跡の存在とこれらに伴う灰原が確認されました。東端に位置する第5号窯は、登窯で、一部を発掘調査することができました。この窯内からは、山田寺式の単弁八葉蓮華文軒丸瓦・重弧文軒平瓦とともに須恵器が出土し、また他の5基からも、前庭部と灰原から四天王寺創建に使われた素弁八葉蓮華文軒丸瓦・素文軒平瓦・鴟尾等の他、須恵器が出土し、この瓦窯群が四天王寺に附属するもおで、操業は飛鳥時代(今から約1400年前)にまでさかのぼると考えられます。

 なお、1985年の京都府側の調査で、窯跡は計8基あったことがわかりました。

                                  2006年2月 枚方市教育委員会

②.文化財情報・・・インターネット(枚方市教育委員会)

 ・遺跡の時代:旧石器、飛鳥、奈良、平安

 ・遺跡の種類:集落跡、生産遺跡

 ・遺構   :掘立柱建物、井戸。窯跡、土器生産遺構、池、土杭、祭祀遺構、土管列

 ・遺物   :石器(ナイフ型石器、有舌尖頭器)、土師器、須恵器、緑釉陶器、黒色土器、瓦器、瓦(軒先瓦)、土製品(ミニチュア土器、土馬)、銭貨

③.遺跡概要

 男山丘陵の南西部に広がる集落の遺跡で、平安時代終わりごろの歌謡集「梁塵秘抄(リョウジンヒショウ)」(1179年成立)に詠まれた「土器づくりの里」と考えられます。

 黒色土器や瓦器(がき)と呼ばれる黒い土器が沢山発見され、またその土器を造ったとされる遺構も見つかっています。

 また、地鎮(ジヂン)のための祭祀(サイシ)遺構も発見されてます。

※祭祀遺構:鉄製の鋤先を地面に立てて、貨幣(乾元大宝(ケンゲンタイホウ))を数枚入れた水瓶(スイビョウ)を置いたもの。