ここでは、十三重石塔 について紹介します。

在所:京都府宇治市宇治塔川・・・宇治公園(塔の島)内

【ポイント】

①.建立の経歴

 弘安7年(1284)宇治橋の架け替えに際し、魚霊の祟りと考え宇治川の殺生禁断令を発し、網代漁法を禁じ、漁具を埋めてその上に石塔を建立した。

 石塔は、洪水によって度々流され、宝暦6年(1756)に石塔も流失。

 その後、川床に埋まった塔石が発見され、明治40年(1907)より発掘に着手。

 明治41年(1908)8月に再建された。

②.文化財

  ・十三重石塔;重要文化財・・・放生院所有

国宝・重文区分 重用文化財
重文指定 昭和28年(1953)03.31
国宝指定  
員数 1棟
種別 寺院/その他
時代 鎌倉後期
西暦

 

構造及び形式等

石造十三重塔

  ・浮島十三重塔納置品;京都府指定有形文化財・・・放生院所有

【関連写真】

 浮島十三重石塔全景2020_09_15 金只   台座の説明文2020_09_15 金只   

 

【補足説明】

①.十三重石塔台座の説明文より

宇治川大橋
   大化2年(646)僧道登が架設した我国史上最古の大橋であったが激流のため屡を流失し久しく中絶していた
   弘安9年(1286)奈良西大寺の高僧叡尊律師(興正菩薩)が是を再建復興した
  浮島(塔の島)
   叡尊律師が宇治大橋を構築するに当り放生会を修する祈祷の道場として築いた島棋である
   即ち島は五十四尊太会を槙みした舟型としその中央に大塔婆を建立し大掎の上流一帯は綱代を禁制して
   渙氏の漁具を悉し此処に埋めて永遠に殺生禁断を誓い大橋の再建成就と永世護持をを祈願した
  十三重石造大塔
   弘安九年叡尊律師が大橋の再建成就祈願のため建立した日本最大の石造佛塔である
   一見率塔婆永離三悪道の佛語に基き河水塔影を浮かべて遠く滄海に潅いでは画鼈自ら善緑を結び清風友堤に
   触れて広く山野に及べば鳥獣も亦悪報を免るとする理念に掾るものである
   塔の関根法要には亀山上皇の御幸を拝し大橋の落慶法要と共に営なまれ盛大を極めた
    塔高の五大父は五知日如来十三層は十三大会の諸尊台石の九尺四方は九会曼陀羅を擬表したものである
    塔中納蔵品(宝暦の大洪水に崩壊した時発見)如意輪観音像 十三佛 水晶五輪小塔 金造舎利塔
    五鈷鈴 紺紙金沢法華経 日無量正時経 金造経筒
  浮島大塔の再建
   宝暦6年(1756)未曾有の大洪水に崩壊した大塔は150年間川底に深く埋没した侭となっていた
   明治38年岡山県の仁 福田海主 多日青連居士 叡尊律師の誓肯を継承し大塔の復興を発願するや
   近畿 東海 山陽四國の信衆コ沓隨喜協賛し宇治町岩井勘造氏を首め有志者亦挙ってえれに協力
   同41年(1908)仲秋遂に克く再建の誓願を達成して大塔徃古の優姿を復えした
   開眼法要は各宗寺門交々厳修旬余に及び福田海は佛影五百万休を奉流水燈供養を修し方生会を行った
    塔の重量廿三万八千余貫基盤は地下10尺立方とし大般若経一宇一石写経万を理納八葉通台や模擬した
    基坦には日露戦争陣没将兵23万8千霊名石を約入塔中には叡尊律師が奉蔵した如意輪観音像13佛と
    新たにシャム國請来の金造釈迦如来を安置し頂上の霊空蔵石には水晶宝珠と宝剣を納蔵した
                                                 右京嵯峨  小林美喜雄  撰并書
      大塔再建50周年記念

【参考情報】

Wikipedia:十三重石塔

国指定文化財等データベース:浮島十三重塔