ここでは、古民家群(敬應寺周辺寺内町) について紹介します。
在所:招堤元町2・3丁目
【ポイント】
①.敬應寺を中心にできた寺内町。
・日置遺跡から続く北端の舌状の台地の一番北側に一向宗の道場(現敬應寺)を建立。
・道場の北側は、御堂池と石垣で防御線を構築。
・舌状台地の縁は、石垣で囲み、塀を持った大きな屋敷を配置。
・中央に街道を通して、迷路の路地に民家を配し、日置側からの侵入を難しくしている。
②.寺内町の防御態勢と集落。
・北の守り;御堂池。
・東の守り;寺内町東側の谷を越えた尾根に出来た山岳型集落。
・南の守り;正念寺南側に四重に並んだ集落
・西お守り;寺内町の西の谷を挟んだ向かい側にできた山岳型集落
【関連写真】
出屋敷が街道に沿って直線的に形成されているのとは対照的に、網の目状に入り組んだ細い通りに、切妻屋根・平入り屋根の家屋が思い思いに建てられている。
その多くの通りが、車も思うように行き来できない幅になっている。その先で行止りになっている道、鍵の手に曲がる道、緩く曲線を持った道の、200~300m四方の区画の中に集落がまとめられている。
【参考情報】
Localwiki:敬應寺・・・寺内町の歴史は、敬應寺の案内板に説明あり