ここでは、古民家群(敬應寺周辺寺内町) について紹介します。

在所:招堤元町2・3丁目

【ポイント】

①.敬應寺を中心にできた寺内町。

 ・日置遺跡から続く北端の舌状の台地の一番北側に一向宗の道場(現敬應寺)を建立。

 ・道場の北側は、御堂池と石垣で防御線を構築。

 ・舌状台地の縁は、石垣で囲み、塀を持った大きな屋敷を配置。

 ・中央に街道を通して、迷路の路地に民家を配し、日置側からの侵入を難しくしている。

②.寺内町の防御態勢と集落。

 ・北の守り;御堂池。

 ・東の守り;寺内町東側の谷を越えた尾根に出来た山岳型集落。

 ・南の守り;正念寺南側に四重に並んだ集落

 ・西お守り;寺内町の西の谷を挟んだ向かい側にできた山岳型集落

【関連写真】 

  城郭造りの東側石垣2013_05_13 金只  山門正面の路地2013_05_13 金只

 出屋敷が街道に沿って直線的に形成されているのとは対照的に、網の目状に入り組んだ細い通りに、切妻屋根・平入り屋根の家屋が思い思いに建てられている。 

 その多くの通りが、車も思うように行き来できない幅になっている。その先で行止りになっている道、鍵の手に曲がる道、緩く曲線を持った道の、200~300m四方の区画の中に集落がまとめられている。 

【参考情報】

Localwiki:敬應寺・・・寺内町の歴史は、敬應寺の案内板に説明あり