ここでは、夢浮橋ひろば について紹介します。
在所:宇治市蓮華5-2
【ポイント】
①.この広場は、平成15年(2003)宇治ライオンズクラブによって整備された。
【関連写真】
【補足説明】
①.現地案内板「夢浮橋」より
源氏物語と宇治
「源氏物語」は11世紀初めころ作られた長編小説です。作者は藤原彰子に仕えていた女房紫式部であると伝えられています。
物語は全部で54帖(巻)からなります。このうち最後の十帖は、光源氏の息子薫や孫の匂宮と宇治に住む3姉妹との実らぬ恋の物語で、特に「宇治十帖」と呼びます。
「橘姫」ではじまり、「夢浮橋」でおわる「宇治十帖」には、朝霧にけむる宇治川の流れが不可欠でした。
「源氏物語」は実話ではありませんが、いつの頃からか、物語の舞台はここであってほしいという人々の思いによって、宇治川周辺に宇治十帖の古跡が作られました。いま古跡を訪ねることで、遠く王朝文学の世界をしのぶことができます。
②.現地案内板「紫式部(978~1016?)」より
紫式部は「源氏物語」54帖の作者として知られる女流文学者。ここ宇治川の畔一帯に華やかな貴族文化のはなが開いた王朝時代に登場した才女とは知られていても、その生涯には謎が多く、生・没年さえ正確にはわかっていない。999年頃藤原宣孝と結ばれたが、宣孝の死後は寡婦生活の日を送り、「源氏物語」の執筆はこの頃から始められたらしい。
やがて今をときめく左大臣藤原道長から、一条天皇の中宮になった娘の彰子の女房として仕えるようにと召し出され、宮仕えの身となる。
「源氏物語」が当時の宮廷社会の実情をリアルに描写し、因果応酬の人生観を有する人間性を追求した長編にまとめられているのは、紫式部自身の境遇によるものであろうと思われる。
紫式部には、女房として宮仕えをしていたころの生活を綴った「紫式部日記」(1008秋~1010春)や、歌人としての非凡な才能が知られる「紫式部集」があり、当時の公家のようすを伝える貴重な遺作となっている。
②.源氏物語 宇治十帖(十)案内板より
夢の浮橋
薫君は、小野の里にいるのが、浮舟であることを聞き、涙にくれる。そして僧都にそこえの案内を頼んだ。僧都は、今は出家の身である浮舟の立場を思い、佛罰を恐れて受け入れなかったが、薫君が道心厚い人柄であることを思い、浮舟に消息を書いた。
薫君は、浮舟の弟の小君に、自分の文も添えて持って行かせた。
浮舟は、なつかしい弟の姿を覗き見て、肉親の情をかきたてられ母を思うが、心強く、会おうともせず、薫君の文も受け取らなかった。
小君は姉の非情を恨みながらしかたなく京へ帰っていった。誰かがをあそこへ」かくまっているのではないかとも、疑うのだったとか、
法の師とたづぬる道をしるべにして
思わぬ山に踏み惑うかな
平成18年10月 宇治市文化財愛護協会
【参考情報】
Wikipedia:夢浮橋
Wikipedia:宇治十帖
Wikipedia:紫式部