ここでは、岸天満宮(岸宮)跡 について紹介します。

在所:町楠葉一丁目33-25

【ポイント】

①.淀川の増水時に流れ着いた天満宮の尊像を祀ったのが始まり。

②.慶長(1596-1615)の頃、交野天神社より分祀し、天満宮(岸宮(キシノミヤ))とした。

③.明治5年の神仏分離令により、再び天満宮は交野天神社に合祀され、跡地に記念碑を建立。

④.昭和46年樟葉駅の移転に伴う拡幅工事のため天満宮跡の松が支障となり伐採された。

  ・巨大な松に生育しており、且つ、老木化で倒壊の恐れもあった。

  ・神木の大松の切り株は今も京阪線路脇に保存。

  ・切り株の周辺土地の所有権は、現在も地域にある。

  ・線路沿いの道路の舗装の中にも松の切り株が確認できる。

⑤.淀川舟運の安全を願って、弁才天橘大神が祀られている。

【関連写真】

 天満宮跡全景2013_05_05 金只   標石(天満宮跡)2013_05_05 金只   

 壽弁財天 橘大神2013_05_05 金只   鳥居額(壽弁財天 橘大神)2013_05_05 金只   

 京阪本線レール際の大松切株2019_02_13 金只   線路脇に保存された切株2019_02_13 金只   

 

 

【補足説明】

①.天満宮の由来・・・小休本陣跡の当主米谷三男氏談話より

 -1.言伝えによると、淀川の大洪水の時、箱が流れてきて、松の木に箱が引掛った。

 中には天満宮の尊像が 安置されていたので、松の傍らに祠を建てて氏神とした。

 -2.慶長(1596-1615)の頃、交野天神社より分祀し、天満宮とした。

 -3.明治5年の神仏分離令により、再び天満宮は交野天神社に合祀され、跡地に記念碑を建立。

 -4.昭和46年樟葉駅の移転に伴う拡幅工事のため前記松が支障となり伐採された。

   巨大な松に生育しており、且つ、老木で倒壊の恐れもあった。

   地所は地元の所有のままとなり、当時の村長であった米谷家の名義(納税証明書を確認)。

 -5.神木として地元に崇敬されていたので、切り株はそのまま現在も保存されている。

②.この地に「弁才天(ベンザイテン)「橘大神(タチバナノオオカミ)が合わせて祀られているのは判りません。

 宮崎市宮田町に鎮座する「宮崎八幡宮(ミヤザキハチマングウ)」に橘大神(タチバナノオオカミ)が祀られているようですが