ここでは、宗純王廟(一休禅師) について紹介します。
在所:京田辺市一休寺内
【ポイント】
①.一休禅師の墓所
➁.一休禅師は後小松天皇の皇子であったことからこの一画は宮内庁の管理。
【関連写真】
宗純王廟(一休禅師)墓所2024_06_19 金只
宗純王廟の屋根2024_09_28 金只
【補足説明】
①.現地案内板(一休禅師墓所)
一休禅師は文明13年(1481)11月21日 88歳で当寺で示寂されたがこれに先立って文明7年、ここに寺塔を建立し、平素敬慕されていた宗の慈明・楊岐両禅師の名をとって慈楊と名づけられたのである。
今日の建物は法華堂と改称され内に印塔がある前面の庭には茶祖村田珠光の作と伝えられれ禅院式枯山水の様式で室町時代の古風をよく存している。
一休禅師は人皇百代後小松天皇の皇子であるのでこの一画は宮内庁の御陵墓として管理している。門扉に菊花の章があるのもこのためである。
➁.インターネット情報
後小松天皇は、1382年即位、1392年南北朝統合、一休禅師は出生は1393年。
【参考情報】
Wikipedia:一休宗純