ここでは、山下翁頌徳碑 について紹介します。
在所:津田西町二丁目35
【ポイント】
①.津田の素麺は「河内そうめん」と呼ばれています。
②.山下政右衛門が三輪から持ち帰った製麺技術によって始まる。
③.子孫の山下政治太が私財を投げ打って水車設備を調え、生産組合を設立。
④.没後7年(1914)にこの碑が有志によって設立。
【関連写真】
【補足説明】
①.現地案内板より
津田の素麺業と山下政太
津田における素麺業の起源は定かでありませんが、18世紀後半にはすでに始まっていました。このころ津田素麺業の中心となったのは山下政右衛門です。19世紀に入ると、素麺生産者は株仲間を作って組織的に生産し、主として京都に卸すようになります。
ところが、明治時代になり商品経済が活発になると、その先行きが危ぶまれるようになります。そこで山下政右衛門の子孫にあたる政太は、安価な原材料を確保するため、私財をなげうって小麦を挽く水車設備を調えます。その後も素麺生産組合の設立に尽力するなど素麺業の発展に貢献しました。晩年、政太は自らを「素ノ小児」(素麺の子・素朴な子)と呼び、素麺業の発展に一心であった自身の半生を振り返っています。
この頌徳碑は、政太が没した7年後の大正3年(1914)に、津田区費と77名からの寄付金で建立されました。政太が多くの人に慕われていたことを偲ばせます。 2007年12月 津田区
【参考情報】
インターネット:河内そうめんの伝統を絶やさぬ人 藤井茂雄さん
ホームページ:(有)藤井商店