ここでは、洞ヶ峠茶屋 について紹介します。

在所:八幡市八幡高野道1

【ポイント】

①.山城国と河内国との国境を為す東高野街道の要衝の地。

②.光秀に助勢を頼まれた筒井順慶がこの峠で戦況を観望していた場所として有名。

  「洞ケ峠を決め込む」の語源となったとの言い伝え

  実際は、順慶は郡山城に篭城していた。

【関連写真】

 国道1号線に面した峠の茶屋2017_09_29 金只​   峠の茶屋全景2014_07_12 金只   

 入口付近の案内板2014_07_12 金只​   案内板2014_07_12 金只​   

 洞ヶ峠(産経新聞2015_08_02)金只   

【補足説明】

①.洞ヶ峠茶屋前の説明版より

 この峠は、京都府(山城国)と大阪府(河内国)との国境をなし、かっては東高野街道の要衝の地であったため、南北朝時代には男山・荒坂山とともにたびたび戦乱の舞台になった。

本能寺の変(天正10年(1582))の後、明智光秀と羽柴秀吉が山崎の合戦をした折、光秀に助勢を頼まれた大和郡山の筒井順慶がこの峠まで出陣し、戦況の有利な方に味方しようと観望していた場所として有名である。この誇示から日和見することを「洞ケ峠を決め込む」ともいう。

 しかし実際には、順慶は洞ヶ峠まで出かけるどころか、光秀の誘いを蹴り郡山城に篭城していたという。それにもかかわらず、順慶は日和見主義の代表者の汚名を着せられ、一方、そのおかげで洞ヶ峠は天下に知れわたって伝えられている。

                                   平成6年 枚方市教育委員会

➁.洞ヶ峠(産経新聞2015_08_02)

 『峠』というイメージはない。ふと東側を見るとミドリの小山がつらなっている

 かっては、この小山のあたりに、東高野街道があったのではないだろうか。眺めもよかったはずである。国道をわたったが、山道のような入口は柵でふさがれ、なかには入れなかった。

 ※ この地に比較的新しい「筒井順慶陣跡」の標柱があるが?

 眺望にこだわりつづけたのは、もちろん理由がある。かってこの峠からは、木津川や宇治川が合流する淀川をはじめ、対岸の天王山、そのちかくの山崎の地が一望に見わたせたからである。

 天正10(1582)年6月13日、この天王山から山崎周辺で、豊臣秀吉軍約3万、明智光秀軍約1万が激突した。「山崎の合戦」である。

 その11日まえに起きた本能寺の変は、さまざまな慣用句を生んだ。「敵は本能寺にあり」(敵はべつのところにいる)、「3日天下」(短期間しか権力を保持できない)、「天王山」(勝負の分かれ目)などである。

 まだ、ある。「洞ヶ峠を決め込む」だ。「日和見」という意味で使われ、戦などを遠望し、有利なほうにつくことをさす。

 合戦の当日、大和国郡山城主、筒井順慶軍約1万がこの洞ヶ峠に陣取り、秀吉軍と光秀軍の戦いを遠望し、有利なほうにつこうとしたという逸話から生まれた。いらい、洞ヶ峠は順慶の名前とともに、現在まで騙りつがれている。

 順慶の子孫という設定で書かれた作家、筒井康隆の『筒井順慶』には「面白おかしくでっちあげた話が今に伝わってご先祖様の汚名となったにちがいない」と書かれているように、この逸話は史実ではない。

 順慶は、本能寺の変のあと、、郡山城に大量の兵糧を運び入れ、籠城を決め込んだ。しかも上洛中の秀吉に誓詞まで送りとどけ、秀吉軍につくと約束しているのである。もちろん洞ヶ峠に、軍をだしてはいない。

 では、なぜ、「洞ヶ峠をきめこむ」という慣用句が生まれたのだろうか。

 男色家ともいわれ、性質も実子もいない順慶の年譜をたどると、木になる一節ある。天正3年2月、姉の子である養子の定次に、織田信長の養女、秀子が嫁ぐ、いうくだりがある。

 この秀子はじつは光秀の5女で、光秀はいったん信長の養女にしたうえ定次に嫁がせた。光秀と順慶は親戚にあたり、順慶を信長の配下にさせたのも光秀だった。当然、本能寺の変で点火を一時的にとった光秀は、順慶が自軍につくと一方的に思い込んだ。

 山崎の合戦のまえ、洞ヶ峠に陣取った軍勢は、たしかにいた。当の光秀軍である。歴史家、藪景三の『筒井順慶とその一族』には、こう書かれている。

 「(光秀は)洞ヶ峠に着陣して、かねてより合力を説得していた筒井順慶の到着を鶴首の思いでまっていた」

 だが順慶軍は待てどくらせど、やって来ない。「おのれ、順慶め、日和見やがって」と呪ったであろう光秀はやむをえず、山崎にしりぞいた。

 歴史作家、永井路子は秀子の生涯を描いた短編『青苔記』のなかで、秀子が「初めは明明智方につくおつもり」と問うと、順慶はこうこたえた。

 「いや、この変の始まったときから、私は羽柴(秀吉)と連絡をとっている」

 これが真相であろう。洞ヶ峠は「日和見」ではなく、「思い込み」の慣用句とするのが、正解なのである。

【参考情報】

Wikipedia:洞ヶ峠