ここでは、市民の森と鏡伝池 について紹介します。

在所:枚方市楠葉野田二丁目10

【ポイント】

①.鏡伝池を中心とした緑地公園:市政35周年記念事業として整備

②.鏡伝池:平安貴族の遊猟地

  くらもじな 真澄の鏡 影そふる

   樟葉の宮の 春の夜の月    神古今和歌集  藤原実経

 ※ 昭和59年発掘調査:鎌倉、室町時代の 瓦器碗・土器出土、水神祭祀の遺物出ず

③.緑化植物見本園;家の庭に目的別に植樹する樹木を紹介。

④.大雨の際の溜水池として設計・施工されている。

​⑤.南入口横の駐車場の桜は見事。

【関連写真】

 管理棟入口(バス停前)2015_04_29 金只  市民の森(案内板)2012_06_06 金只  

 緑化植物見本園2017_04_05 金只  緑化植物見本園説明板2013_04_28 金只  

 市民の森(上部道路から右側)2015_04_29 金只  郷土の森案内板2013_04_28 金只  

 沢山の家族連れが集う児童遊園2017_04_05 金只  水辺で遊ぶ家族連れ2015_04_29 金只  

 鏡伝池①2014_07_20 金只  鏡伝池②2013_04_28 金只  

 菖蒲園2013_04_28 金只  蓮の花2014_07_20 金只  

 鏡伝池案内板全景2013_04_28 金只  鏡伝池案内板2013_04_28 金只切出し  

 遊水池告知板2014_09_20 金只  遊水池告知板(大写し)2013_04_28 金只  

市民の森の桜

 東遊歩道の桜2017_04_05 金只  南外周の桜2017_04_05 金只  

【補足説明】

①.現地案内板より

 古代から鏡には神霊がよりつくと信じられ、しばしば神社の神体とされてきた。また、鏡は姿を映すので、水と深い関わりをもち、金属鏡は水神祭祀に使われた。「土佐日記」には、荒海に鏡を奉納して波を鎮めた話が出ており山形県出羽三山の御手洗池など、各地の神池から多くの古鏡が出土している。

 鏡伝池は、交野天神社の真南にあたり、当地で過去に鏡を用いた水神祭祀が行われたものと思われる。付近一帯は平安時代に貴族の遊猟の地として著名であり、大宮人が清水をたたえた池に月を映し観月の宴を催したものであろうか。

 昭和59年「市民の森」に建設に先立って考古学的調査を実施し、鎌倉時代から室町時代までの瓦器碗・土器等が出土したが、水神祭祀に伴う遺物は発見されなかった。                                                            枚方市

②.公園データ

 ・面積    26,136 m2

 ・植栽木   12,000 本

 ・開園    昭和62年(1987)5月

 ・開園時間  9:00~17:00

 ・休園    毎週木曜日、12月29日~1月3日

③.鏡伝池の由来

 「北河内地域文化誌・まんだら 76号」によると、「続古今和歌集」に詠まれた「楠葉の宮の池」は、この鏡伝池との説が有力とのことです。鏡を池に投げ入れて水の霊に祈願する祭祀したり、鷹狩の後に澄んだ池の水に鷹の姿を映して見せたり、この池でもこのようなことが行われたために、「鏡池」と呼ばれたと思われます。

 また、昭和26年(1951)刊行の枚方市史には、里人はこの地を「鏡田池」と呼んでいると述べ、併せて、この池の近くで「田毎の月」と称す銘酒が明治40年(1928)頃醸造され、品評会で優勝したことがあると述べ、暗に、月の名所→田毎の月→鏡田池となったと記している。

 この池は、13世紀以降に造られた灌漑用の用水池であるとも考えられている。

④.和歌の作者は?

 和歌の作者について管理事務所展示室パネルでは「一条実経」となっている。

 この和歌を詠んだのは、鎌倉時代の公卿で関白左大臣(1223~1284)である。

 一条実経の本姓は藤原。藤原家は平安時代の末に、近衛家が近衛、高司の二家に、九条家が九条、二条、一条の三家に分かれ、いわゆる五摂家体制が作られた。

 一条家は、九条道家の時代に四男の実経が京都一条に住んだことから称され、実経がその祖となった。

 尚、平安時代中期に権大納言・藤原行成の長男で正四位上・近江守の同名の「藤原実経」という貴族がいた。

⑤.歌の心

 「くもらじな」は「雲っていないことだなぁ」という意味で、池が鏡のように曇り無く澄んでいることと、継体天皇の心の曇りないことを称えたもの。

 「真澄の鏡」は、「澄み切った鏡」の意味で、ここでは鏡伝池を指している。

 古来月の名所とされていた鏡伝池に映る春の夜の月を詠んだだけのものでなく、この池のすぐ上にあったと伝えられる樟葉の宮で即位する継体天皇(第26代)の曇り無き清い心を称える意味を持つものだった、と考えられる。