ここでは、廣智寺(コウチジ) について紹介します。

在所:天神町二丁目1-3

【ポイント】

①.宗派:黄檗宗(オウバクシュウ)

➁.本尊:不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)

【関連写真】

①.寺伝

 ・聖徳他紙が創建と伝わる。

  創建時は、「観世音寺」と称した。

 ・天正6年(1578)、キリシタン大名高山右近によって焼き払われる。

  本尊は村人に難を逃れる。

 ・寛文元年(1661)、高槻城主永井直清により再興される。

 ・延宝元年(1673)。諸堂宇の建設も完了、廣智禅寺と改称。

➁.文化財

 ・木造多臂観世音菩薩立像 ;大阪府有形文化財

※ 参拝者用の昇降エレベーターが廣智会館にあり

【補足説明】

 西国街道からの入口2023_09_23 金只   標石(廣智禅寺)2023_09_23 金只   

 山門2023_09_23 金只   案内板(廣智寺)2023_09_23 金只   

 手水舎2023_09_23 金只   本堂2023_09_23 金只   

 境内の稲荷社2023_09_23 金只   参拝用エレベーター2023_09_23 金只   

 参拝用エレベーターのあるビル2023_10_04 金只   参拝用エレベーター(以上口)2023_10_04 金只   

 

【補足説明】

①.現地案内板(廣智寺)より

 廣智寺は、曇華山(ドンゲザン)黄檗宗に属し、多臂観世音(タヒカンゼオン)7菩薩立像 (大阪府指定有形文化財)を本尊とする。

 創建の年代は不詳であるが、寺伝によるば聖徳太子の開創といい、中世には隆盛を極めたが、天正年間に高山氏の兵火で消失。寛文元年(1661)、中国の高僧隠元の招聘で知られるリュウケイが再興し、のちドクリュウやレキインが入山して本堂や方丈等を造営し、今日の礎を築いた。

 寺宝には、画僧・カクシュウゲンコウ筆列祖図73幅のほか、隠元ら黄檗宗高僧の額、墨跡などがある。

    高槻市教育委員会

➁.文化財(木造多臂観世音菩薩立像);Wikipediaより

 高さ167.8センチメートル、カヤ一木造(いちぼくづくり)。腕が6本の十一面観世音像であるが、元来は腕が8本で顔が1つの不空羂索観世音菩薩であったことが解体修理により判明。1993年(平成5年)11月、大阪府の有形文化財に指定。瞳には黒曜石を嵌め込んでいたと思われる。

【参考情報】

Wikipedia:廣智寺

Wikipedia:黄檗宗