ここでは、廣智寺(コウチジ) について紹介します。
在所:天神町二丁目1-3
【ポイント】
①.宗派:黄檗宗(オウバクシュウ)
➁.本尊:不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)
【関連写真】
①.寺伝
・聖徳他紙が創建と伝わる。
創建時は、「観世音寺」と称した。
・天正6年(1578)、キリシタン大名高山右近によって焼き払われる。
本尊は村人に難を逃れる。
・寛文元年(1661)、高槻城主永井直清により再興される。
・延宝元年(1673)。諸堂宇の建設も完了、廣智禅寺と改称。
➁.文化財
・木造多臂観世音菩薩立像 ;大阪府有形文化財
※ 参拝者用の昇降エレベーターが廣智会館にあり
【補足説明】
【補足説明】
①.現地案内板(廣智寺)より
廣智寺は、曇華山(ドンゲザン)黄檗宗に属し、多臂観世音(タヒカンゼオン)7菩薩立像 (大阪府指定有形文化財)を本尊とする。
創建の年代は不詳であるが、寺伝によるば聖徳太子の開創といい、中世には隆盛を極めたが、天正年間に高山氏の兵火で消失。寛文元年(1661)、中国の高僧隠元の招聘で知られるリュウケイが再興し、のちドクリュウやレキインが入山して本堂や方丈等を造営し、今日の礎を築いた。
寺宝には、画僧・カクシュウゲンコウ筆列祖図73幅のほか、隠元ら黄檗宗高僧の額、墨跡などがある。
高槻市教育委員会
➁.文化財(木造多臂観世音菩薩立像);Wikipediaより
高さ167.8センチメートル、カヤの一木造(いちぼくづくり)。腕が6本の十一面観世音像であるが、元来は腕が8本で顔が1つの不空羂索観世音菩薩であったことが解体修理により判明。1993年(平成5年)11月、大阪府の有形文化財に指定。瞳には黒曜石を嵌め込んでいたと思われる。
【参考情報】
Wikipedia:廣智寺
Wikipedia:黄檗宗