ここでは、明尾寺 について紹介します。

在所:枚方市南町 3-1

【ポイント】

①.612年に高麗国光明寺僧徳胤僧正来朝し聖徳太子に11面観音像を奉献

②.弟君麻呂魯親王が河内国交野郡山田郷へ七堂伽藍を創建

③.弘法大師がこの地を巡錫のとき、密教の奥旨を伝えて以来真言宗に

④.元和(1611-1629)中興伽藍は台風雨により、被害を受け、倒壊、現在の小伽藍を再建

⑤.山号は、多慶山、宗派は真言宗御室派。

【関連写真】

  府道からの入口2014_02_24 金只  山門2014_02_24 金只

  本堂2014_02_24 金只  鐘楼2014_02_24 金只

【補足説明】

①.明尾寺畧縁起・・・寺院表示板より

 当山は人皇33代推古天皇即位20年(612)に高麗国光明寺僧徳胤僧正来朝し聖徳太子に11面観音像を奉献する。太子はこれを受けて弟君麻呂魯親王へ勧教になり河内国交野郡山田郷へ七堂伽藍を創建なされて、多慶山万法蔵院禅林寺と号し、この観音像を本尊として安置なされて我が国最古の三論宗の名刹として開創なされしと、推古天皇は挙げて宮寺に列したまいて、弘仁(809-823)年間に弘法大師がこの地を巡錫の説砌、密教の奥旨を伝えて以来真言宗にあらたまりしと伝え、元の伽藍は、山田池の東北に位置し薬師谷、明尾、高野道の名を残す。元和の兵戦により伽藍は焼失されしが、講堂の弥勒仏、大悲殿本尊仏は現在も於いても、保存され、おまつりされている。元和(1611-1629)中興伽藍は台風雨により、被害を受け、倒壊、現在の小伽藍を復興するにいたりしものなり。

-1 593年:聖徳太子が摂政となる

-2 818年:空海が高野山金剛峰寺建立入寺