ここでは、明治18年大洪水碑について紹介します。
在所 | 枚方市桜町16番地先 府道13号線沿い淀川工事事務所前 |
種別 | 市登録文化財 有形文化財 |
指定 | 平成26年4月1日 |
所有 |
【ポイント】
①.明治18年(1885)6月18日
この地点を中心から180mにわたって三矢・伊加賀堤防決壊。
②.明治18年(1885)7月2日
安井(アンゴ)川、天野川堤防決壊。大阪市内及び中河内まで被害甚大
③.明治19年に、この碑は建立。
④.明治以降の淀川洪水(枚方市史 4巻)
・明治元年(1868)高槻唐崎決壊
・明治3年(1870)三矢堤防決壊寸前
・明治18年(1885)伊加賀堤防決壊
・明治22年(1889)三矢で2箇所決壊
・明治29年(1896)淀川堤防決壊・・・大阪市被害
⑤.明治29年(1896)~明治43年(1910) 本格的な洪水対策始まる
・新淀川掘削
・毛馬の閘門(コウモン)
・南郷の洗い堰
・宇治川の付け替え
・桂川河口を拡げ合流点を山崎まで下げる・・・(三川合流)
・大塚-枚方間の川幅の拡張
⑥、昭和28年(1953)9月台風で鍵屋周辺住民に避難命令。
⑦.平成25年(2013)9月大雨で避難勧告水位に20cmまで増水。
⑧.平成26年(2014):枚方市登録文化財に登録
⑨.平成25年9月16日の増水時には、府道13号線の信号から公園内に降りる道路堤防内側の芝生が上から1m付近で欠損。
上流からの水流が直接当たる箇所で明治18年の大洪水でもこの付近が決壊した。
【関連写真】
①.明治18年大洪水碑
②.2013年9月13日台風18号時の増水状況
【補足説明】
①.現地案内板より
明治18年(1885)6月15日朝から降り始めた豪雨で、淀川の水位は急上昇し、ついに18日午前3時三矢村・伊加賀村の淀川堤防が決壊しました(伊加賀切れ)。その切れ口は約180mに達し、濁水はたちまち淀川左岸一帯を水没させました。7月にも豪雨にみまわれ、復旧中の堤防が再び決壊し濁流は、寝屋川流域にも広がり、大阪府内で7万戸余が浸水するという未曾有の大洪水となりました。
決壊場所は水深が5.5mもあり、水勢も激しいことから、旧堤防から後退して弓形に仮堤防が築造され、大勢の人夫を動員して全長約400mに及ぶ大規模な工事でした。
この洪水碑は明治119年に建立されたもので、洪水と復旧の経緯が記され、淀川治水の重要性を今に伝えています。
尚、弓形の仮堤防は、旧堤防の完全復旧によりその役割を終え、今は桜町の道筋に名残りを留めています。 2010年6月枚方市教育委員会
【参考情報】
Localwiki:大塚の堤防切れ
インターネット:伊加賀切れ