ここでは、春日神社(茄子作) について紹介します。

在所:茄子作三丁目 15-26

【ポイント】

①.嘉吉元年(1441)9月9日に奈良春日大社より春日4神の御神霊を勧請して茄子作村の氏神とす。

②.本殿・拝殿は、寛政11年(1799)に再建。

③.鳥居は、享保14年(1729)のものである。

④.明治初年、金竜寺境内の荒神社を当社に合祀した。・・・現在5祭神

⑤.拝殿は、割拝殿方式である・・・拝殿の中で参拝できる。

⑥.狛犬は、北河内の神社で唯一女性による奉献。

 ・平成16年6月2日に破壊され再建したもの

⑦.神の使者として石造りの鹿が置かれている。

 ・台座とともに鉄・銅製は戦中に徴用され、戦後、石像で復活。

⑧.宮座石が1体残存。

⑨.末社の愛宕神社は、香里にあった弾薬製造工廠の火伏神を戦後に移築したもの。

【関連写真】

 正面鳥居前道路2013_06_16 金只  正面鳥居2013_06_16 金只  

 拝殿2013_06_16 金只  拝殿内参拝の割拝殿ネット​   

 拝殿(左)と本殿(右)ネット   祭神表示2013_06_16 金只​   

 下がり藤の神紋ネット   キャラクター(なすひめ&なすすけ)ネット​   

 現存する宮座石ネット   狛犬一対ネット​   

 末社愛宕社全景2013_06_16 金只   西参道全景2013_09_16 金只​   

 宵宮でのだんじり(10月13日)ネット   宵宮での子供神輿3基ネット   

【補足説明】

①.由来・・・大阪府神社庁第3支部発行「北河内のお宮」より 

 ・祭神:嘉吉元年(1441)9月9日に奈良春日大社より御神霊を勧請

     武甕槌神(タケミカヅチノカミ) ;常陸鹿島神宮の大神

     經津主神(フツヌシノカミ)    ;千葉香取神社の大神

     天児屋根命(アメノコヤネノミコト);春日大社の大神

     比咩大神(ヒメオオカミ)   ;京都平野神社の大神

 ・配神:明治初年、金竜寺境内の荒神社を当社内に移築

     火生霊命(ホムスビノミコト)   ;荒神社

 ・祭日:10月14日・例祭;10月14日、春祭;4月3日

 ・所有総面積;約7500坪

 当社は、嘉吉元年(1441)9月9日に奈良春日大社より御神霊を勧請して茄子作村の氏神とした。

 明治5年村社に列し、12月神饌幣帛料供進社(シンセンヘイハクリョウキョウシンジンジャ)に指定された。

 古来宮座の厳重であったこと、その座列は本殿に向かって、右側に端野・堀・奥野、左側に桜井・清水・岡市諸氏の順であった。以って、神前儀式の厳重が伺える上に、今も尚、総代による奉仕が厳重にさなれている。

 当神社の本殿・拝殿は、寛政11年(1799)に再建されており、本殿と拝殿の造営資料については『平橋家大工文書』の負請文書がある。境内における石造物の内最も古いのは享保14年(1729)の鳥居である。また北河内でも大変貴重で珍しいのは、江戸時代の狛犬の奉納主に女性の名前が残っていることである。相当高い身分の女性であったことが伺える。なお、地元『春日小学校』の校名と校章は、当神社の社名と神紋『下がり藤』に由来する。

②.以下インターネット情報

 -1.配神:火生霊命(ホムスビノミコト)

 由緒によれば、「室町・嘉吉元年(1441)9月、奈良・春日大社より春日4神を勧請して茄子作村の氏神とした」とある。

 明治の神仏分離により、神社前の坂下にある金竜寺に祀られていた『地主神』を合祀して、今は5柱を祀っている。金竜寺には“元宮記念碑”が残っている

という。確かに、金竜寺本堂前に石碑が立っている。

 「明治初年、金竜寺境内の荒神社を当社内に移築した。金竜寺は茄子作のうちの旧掃部町(現茄子作北町)にあったので、移築後は末社・『掃部(カモン)神社』と称した。春日大神勧請以前の氏神である」とある。この掃部神社が宮司さんのいう“元宮”であろう。

 祭神は火生霊命(火の神)というが、元宮の旧祭神・荒神(こうじん)もまた台所に祀られる火の神、明治以降に替えたのか?                          

 -2末社愛宕神社--祭神:軻遇突智(カグツチ)命(火の神)

 境内の一画に愛宕神社がある。宮司さんの話では、「この宮は、戦前まで香里にあった軍の弾薬製造工廠に火伏神として祀られていたもので、戦後放置されていたのを当地の氏子たちが持ってきて祀ったもので、今では、この辺りの火伏せの神として崇拝されているという。

 地主神・ホムスビは当社の祭神・カグツチの別名でもあり、そういうことから愛宕社も祀られたとみることもできる。

 -3狛犬

 拝殿前に真新しい狛犬一対が座っている。説明書によれば、「平成16年6月2日の未明、何者かによって阿形狛犬が粉々に壊されたので新造した」(大略)とある。古い吽形狛犬には「願主・端野久兵衛内世津女 文政7甲申歳(1824)九月吉日」との銘があり北河内の神社で唯一女性による奉献で珍しいという。 

 -4.宮座石

 古来宮座は厳重であり、その座列は、本殿に向かって、右側に端野・堀・奥野、左側に櫻井・清水・岡市諸氏の順でありました。宮座石が一ヶ所現存している。さらに、神前儀式の厳重が守られていた上に、今も尚総代による奉仕が続いている。

 -5.本殿・拝殿

 本殿・拝殿は、寛政11年(1729)に再建されており、造営資料については『平橋家大工文書』の請負文書が現存する。拝殿は割拝殿方式(拝殿の中で参拝できる)に造営されており、境内における石造物のうち最も古いのは享保14年(1729)の鳥居(正面参道)である。

 -6.鹿の石像

 拝殿左側の石積台座に2頭の鹿が顔を寄せ合っている石像がある。鹿は神の使者であり、この像は台座ともに銅及び鉄製であったが、戦争中に供出されて戦後現状の石像になった。この像を取り巻く楓が紅葉の頃は素晴らしいグラディーションを現出するので、写真愛好家には恰好の被写体で人気があるとのことである。

 尚、地元『春日小学校』の校名と校章は、当神社の社名と神紋『下がり藤』に由来する。

 -7.地域との連帯活動

 当神社は、季刊社報『とこわか』を発行しています。その趣旨は、神社と氏子・崇敬者の皆さん(約700軒)を結び、地域社会との融和を目指す事にあります。

 活動の例として、秋季例祭宵宮では周辺の3自治会(茄子作自治会・春日丘自治会・京阪ひろ野自治会)と協同して「子供神輿」の巡行を、「杜の寺子屋」では自然や伝統文化(能楽・茶の湯・生け花等)を学びつつ短歌を詠じ、「雅楽」講習会受講生による「春日神社雅楽会」の結成と演奏会、11月の「杜のフリーマーケット・楽市宮座」や「杜のコンサート」の開催。また、茄子作の地名に因んで「なす」キャラクターを作り、今年の4月に地域の皆さんから名前を募集したところ、175名の応募があり、『なすひめ&なすのすけ』が優秀賞に選ばれた名前でした。