ここでは、最勝院 について紹介します。

在所:宇治市蓮華114

【ポイント】

①.平等院は、元々は、平等院は天台宗寺門派に所属。

  室町時代から桃山時代の戦乱の中で、天台宗が衰退し浄土宗が台頭してき、浄土宗の子院が平等院の中に作られた。

  江戸時代に入って天台宗が盛返して1654年に京都東洞院の僧澄栄が平等院に移住して最勝院と称したのが始まり。

  その後、江戸幕府の寺社奉行の裁可によって平等院を単一寺院とし、浄土院と最勝院の共同管理とし、現在に至っている。

②.本尊は不動明王で天台修験宗の聖護院の末寺。役行者役小角(エンノオヅメ)の像も祀る。

③.本堂は、桃山時代の豪壮な唐破風で、玄関上部にある透板彫の欄間は伏見城から移したといわれている。

④.池殿地蔵尊は、平等院の浴室の守護仏といわれ南北朝のもの。

⑤.南側入口奥の源頼政の墓は、平等院境内で自刃したことにより江戸時代に設けられた。

【関連写真】

 山門2020_09_15 金只   本堂2020_09_15 金只   

 災難除不動尊2020_09_15 金只   標識(災難除け不動尊)2020_09_15 金只   

 

【補足説明】

①.京都百科事典(最勝院)より

 ・本堂:北側入口正面に建つ建物

   桃山時代の豪壮な唐破風構造で伏見城から移築

 ・不動堂:南側入口に建つ建物

   災難除け不動尊として信仰を集める。

 ・池殿地蔵尊;不動堂の向かって左側の建物

   平等院の浴室の守護仏だったとか、

 ・源頼政のお墓;高倉宮似仁王の命を受け、三井寺の僧兵とともに平清盛打倒の兵を挙げた人物。

  宇治川の対戦で敗れ、平等院内で自刃。

 ・平等院の管理;もと、平等院は天台宗寺門派に所属。

  室町時代の戦乱の中、浄土宗が台頭し、平等院の中に子院を建立。

  江戸時代天台宗が正直を盛り返し、寺社奉行の裁定で平等院は単一寺院とされ、最勝院と浄土院の共同管理下に入った。

【参考情報】

インターネット:最勝院(京都府宇治市)平等院塔頭