ここでは、末多武利(マタフリ)神社 について紹介します。
在所:京都府宇治市宇治又振47
【ポイント】
①.藤原忠文の霊を慰めるために作られた神社
※ 藤原忠文は、平将門の乱を鎮めるために征夷大将軍に任ぜられる。
忠文が到着前に平将門は討たれる。
そのため大納言藤原実頼の反対で恩賞から外された。
忠文は、実頼を深く恨みその子孫に祟ったという。
【関連写真】
【補足説明】
①.現地案内板より
宇治は無常を意味する「憂し」に通ずるともいわれ、藤原一族の栄華のなる一方、この宇治の地は失意にうちひしがれた人々も受け入れてきました。
宇治民部卿と呼ばれた藤原忠文もその一人で、天慶2年(940)に参議となり、翌年征夷大将軍として関東の平将門の乱の平定に向かいましたが、到着以前に将門は討たれ、事件は解決していました。
大納言藤原実頼によって恩賞の対象から外された忠文は実頼を深く恨み、死後もその一族にとりついて祟ったといわれています。
末多部利神社は、この忠文の怒霊を鎮魂する祠といわれています。
【参考情報】
Wikipedia:末多武利神社