ここでは、本尊掛松 について紹介します。
在所:茄子作南町299
【ポイント】
①.文化財情報
・時代:鎌倉
・ジャンル史跡:(その他)
②.融通念仏宗の再興の地
・法明上人が、11面尊天得如来画像受領地。
・当松に掛けて感激の余り踊ったとの伝え。
・八幡宮の使者は小川伊高公。
【関連写真】
※ 融通念仏亀鉦縁起(2015_01_24大澤研一講演会資料より
【補足説明】
①.現地説明板より
元亨(ゲンコウ)元年(1321)11月16日夜、融通念仏宗(ユウズウネンブツシュウ)中興の祖法明(ホウミョウ)上人が男山八幡神の霊夢をうけ、深江(大阪市)の草庵から男山へ向う途中ここで八幡宮の使者に出会い、11面尊天得如来(ジュウイッソンテントクニョライ)の画像を授かった。
上人はこれを路傍の松に掛け、その前で称名念仏(ショウミョウネンブツ)を唱え感激のあまり踊りだした。これが同宗の念仏踊りの始まりであるとされている。
やがて一夜の宿を乞うたのが犬井甚衛門(イヌイジンエモ)屋敷(茄子作北町)であったという。
「本尊掛松」はこの画像を掛けたことに由来し、別名「ホトトギス松」とも言われるのは、ホトトギスの鳴き声を「ホンゾンカケタカ」と聞きなすためである。
1994年 枚方市教育委員会
②.本尊掛松跡は、枚方市の南部、東高野街道が交野市に接した茄子作南町にある。
明治30年(1897)頃枯れ、近年までその根幹が残っていたらしいが、現在はその跡地は整備され、新しい松が植えられている。
③.石像は法明上人のお姿で裏面には「弘化二巳年(1845年)4月24日 世話人交野門中」とあり、江戸末期交野在の信者の人々が建立したと思われる。
【参考情報】
Wikipedia:融通念仏宗