ここでは、本尊掛松 について紹介します。

在所:茄子作南町299

【ポイント】

①.文化財情報

 ・時代:鎌倉

 ・ジャンル史跡:(その他)

②.融通念仏宗の再興の地

 ・法明上人が、11面尊天得如来画像受領地。

 ・当松に掛けて感激の余り踊ったとの伝え。

   ・八幡宮の使者は小川伊高公。 

 【関連写真】

 全景2013_06_16 金只​   標柱2013_06_16 金只​   

 説明版2013_06_16 金只​   本尊掛松由来記2013_06_16 金只​   

 法明上人像全景2013_06_16 金只 ​   

 ※ 融通念仏亀鉦縁起(2015_01_24大澤研一講演会資料より

 岩清水八幡宮での八幡神現の場面​   石清水八幡宮での法物発見の場面​   

 茄子作での体面と法物授受の場面​   茄子作での体面と踊躍念仏の場面

【補足説明】

①.現地説明板より

 元亨(ゲンコウ)元年(1321)11月16日夜、融通念仏宗(ユウズウネンブツシュウ中興の祖法明(ホウミョウ)上人が男山八幡神の霊夢をうけ、深江(大阪市)の草庵から男山へ向う途中ここで八幡宮の使者に出会い、11面尊天得如来(ジュウイッソンテントクニョライ)の画像を授かった。

 上人はこれを路傍の松に掛け、その前で称名念仏(ショウミョウネンブツ)を唱え感激のあまり踊りだした。これが同宗の念仏踊りの始まりであるとされている。

 やがて一夜の宿を乞うたのが犬井甚衛門(イヌイジンエモ)屋敷(茄子作北町)であったという。

 「本尊掛松」はこの画像を掛けたことに由来し、別名「ホトトギス松」とも言われるのは、ホトトギスの鳴き声を「ホンゾンカケタカ」と聞きなすためである。

                                                        1994年 枚方市教育委員会

②.本尊掛松跡は、枚方市の南部、東高野街道が交野市に接した茄子作南町にある。

 明治30年(1897)頃枯れ、近年までその根幹が残っていたらしいが、現在はその跡地は整備され、新しい松が植えられている。

③.石像は法明上人のお姿で裏面には「弘化二巳年(1845)424日 世話人交野門中」とあり、江戸末期交野在の信者の人々が建立したと思われる。

【参考情報】

Wikipedia:融通念仏宗