ここでは、本行寺 について紹介します。
在所:大手町2-43
【ポイント】
①.宗派 日蓮宗
②.沿革
・ここより北2キロの地に、文武天皇時代に豪族の氏寺として創建。
・戦国時代天文法華の乱で堂宇は焼失。
・三好長慶により毘沙門堂として再興。
・高山右近によって諸堂宇が焼き討ちに会い焼失。
・慶長元年(1596)現在地に再興され本行寺と改めた。
・慶安4年高槻城主の平癒祈願がなり、本堂を建立。城主の祈願所となった。
③.見所
・山門 本瓦葺きの高麗門である高槻城のものが移築されたもの。
【関連写真】
山門2022_05_05 金只
高麗門お案内板2022_05_05 金只
弁財天を下に祀った鐘楼2022_05_05 金只
案内板(高槻銭洗弁財天)2022_05_05 金只
弁財天2022_05_05 金只
徹修和尚の教え2022_05_05 金只
本堂に向かう参道2022_05_05 金只
参道横の豊六地蔵尊2022_05_05 金只
本堂2022_05_05 金只
案内板(本行寺)2022_05_05 金只
【補足説明】
①.説明版(本行寺)
本業寺は、常智山と称して日蓮宗に属し、題目宝塔と釈迦多宝2仏を本尊とする。
慶長元年(1596)に日重上人が創建したといい、高槻城主永井直清の信仰も篤く、慶安4年(1651)に本堂の回収を行っている。
境内には、本堂をはじめ妙見堂、庫裏、鐘楼などがあり、本堂に掲げてある「唱導殿」の額は、高槻城主第10代永井直与の直寛の書による。また墓地の一角には、幕末の漢詩人、藤井竹外の没後60周年に際して、自然石に刻まれた「竹外藤井先生之墓」がある。
高槻市
②.説明版(高槻城内
の高麗門)
本瓦葺、高麗門。目まぐるしく城主のかわった高槻城も慶安2年(1649)永井直清が3万6千石で入城後、220数年永井氏が代々居城して、明治に至った。
城は、本丸と二の丸の大部分は石垣を用いたが、他は土塁。
桝形門は7つ設けられたが、すべて左に曲がって出るように設計されていた。
「近畿城門」(著者 近藤 薫)より
③.案内板(高槻銭洗弁財天)より
禍は口より出でず
口は身を破る斧
身を亡ぼす刃なり
言葉は洗って使えとよくいわれます。
お金もきれいにつかいましょう。
もうけることは動物でも出来るわざです。
しかい使いこなせるのは知のある人だけなのです。
まずは弁財天に祈りをこめて手を合わせて下さい。
次にお金を洗い直してみましょう。
身の行いも言葉も作用も心の動きも洗い直し清浄にならないと、
生きている価値がなくなってしまうのです。
身・口・意(三業)の清浄こそ
先祖への最大の報恩
自己への最大の富貴
子孫への最大の財産
④.徹修和尚の教え
過去を終ざれ、未来を願わざれ
生きることの悲しみをじっと胸の深処に秘め、それを決して人にさとられないように微笑しやわらいだ顔つきで心からやさしい言葉を語り、今自分が本当にしなければならない事を只無心に行う。それが真に大切だと思います。
【参考情報】
Wikipedia:本行寺(高槻市)