ここでは、枚方八景(万年寺山の緑陰) について紹介します。

在所:枚方上之町1・・・意賀美神社隣接の伊加賀梅林一帯

【ポイント】

①.萬年寺遺構

 ・推古天皇(592-628)の時代、高句麗の僧が風景に魅せられて庵を開いた。

 ・貞観2年(860)、醍醐寺の聖宝上人が伽藍を建立。

 ・明治3年(1869)の神仏分離令で廃寺。

 ・現存遺構;万年寺標石、十三重石塔

②.枚方小学校旧跡

 ・明治25年(1892)9月~大正15年(1926)9月の間存在。

 ・残存遺構;初代校長の顕彰碑

③.閑院宮戴仁親王(カンインノミヤ コトヒトシンノウ) 演習御観戦所碑(高槻工兵隊)

④.現在の梅林;昭和56年(1981)にライオンズクラブによって100本植樹された。

⑤.沢山の歌碑

【関連写真】

  春の梅林2015_03_06 金只  夏の梅林2014_06_30 金只

  閑院宮戴仁親王演習御観戦所の碑2012_07_08 金只  数ある歌碑の一つ2012_07_08 金只

    旧枚方小校長顕彰碑2013_03_18 金只     枚方八景説明板2013_01_10 金只

【補足説明】

①.観光案内板より

 淀川沿いに細長くのびる枚方宿の町並みを眼下に見下ろし、こんもりと緑に包まれて突き出した丘が万年寺山です。摂津・丹波の山々や、豊かな淀川を一望に見渡せる風光明媚なこの丘は、京阪二都のちょうど中間にあり、数々の歴史の舞台となってきました。この丘の上の意賀美神社境内には、古墳時代前期に築かれた万年寺古墳があり、青銅鏡八面が出土しました。

 言い伝えによると、推古天皇(592-628)の時代の僧恵懽(けいがん)が、この地の風景の勝れているのを愛で、眺めが唐の林岸江(りんがんこう)に似ているとして、草庵を営んだのが万年寺のはじまりです。一千年余の法灯を伝え、夕暮れを告げる晩鐘は人々に親しまれてきましたが、明治の神仏分離令により、この地に意賀美神社が遷ってきました。いまも参道の石段横に「長松山萬年寺」と刻んだ石柱や十三重の石塔が苔むしており、往時を偲ばしてくれます。

 近年、境内に植えられた多くの紅白梅が大きくなり、観梅の名所になっています。

 梅林を北に向うと豊臣秀吉の御茶屋御殿跡があり、展望広場として整備され、眺望の素晴しいところです。                                                    枚方市

【参考情報】

枚方市ホームページより;万年寺山の緑陰