ここでは、案内板(氷室の由来) について紹介します。

在所:尊延寺三丁目1−47・・・市立図書館氷室分室前

【ポイント】

①.日本紀略に尊延寺あたりに氷室があったとの記述から地名がきた。

【関連写真】

 氷室の由来2014_03_28 金只  

【補足説明】

①.現地案内板より

 穂谷・尊延寺・杉の三集落は、明治22年(1889)に合併し、昭和15年(1940)、津田町となるまで、半世紀にわたって「氷室村」として行政を行ってきました。現在、かっての村名は、住宅地の氷室台や氷室小学校などいくつかの施設に残っています。

 氷室の名は、『日本紀略』淳和(ジュンナ)天皇天長(テンチョウ)8年(831)の条に「山城・河内両国に各氷室三宇を加え置く」とあり、河内国では、現在の枚方市尊延寺と杉あたりにあったと考えられています。

 氷室とは、冬に池から切り取った天然の氷に藁ワラ)などをかぶせて貯えておく施設で、夏に宮中で飲食等に供されました。冬の冷え込みが厳しく、しかも交通の便のよい場所が選ばれたと思われます。どこの場所に設けられ、どの程度の規模であったかは不明です。   2004年10月 枚方市教育委員会