ここでは、楠木正成と木南家 の関係について紹介します。

楠木正成・・・北条得宗被官であったとも、橘一族とも? 

  長男 正行(マサツラ桜井の別れ(当時11才?・・・後日の作り話?

  三男 正儀(マサノリ)

   次男 正澄

   次女 後小松天皇の宮女

        一休和尚・・・後小松天皇落胤?

             ※一休寺は田辺街道を京田辺に入った処に現存

   養子 津田正信・・・一族は光秀側に加担して滅亡

   ???この間の関連は不明

       後裔  木南喜右衛門・・・江戸時代後期までは、楠木正成は逆賊としての評価

 妹卯木---伊賀の服部氏の上嶋元成に嫁ぐ

      三男観世丸(能観世流流祖)・・・吉川英治の私本太平記によると赤坂城攻防戦中に生誕

楠木 →→→→→→→→ 南木(ナギ)木を外して南木とした →→→→→→→→ 木南 一族の流れを残すため上下入替?     

            南木神社、軍学南木流

 明治になって楠木正成は神格化された・・・天皇のため死する。

歴史的には、いづれも噂話の域を出ない。