ここでは、楠葉渡し跡 について紹介します。
在所:楠葉中之芝二丁目22・・・久修園院の西側淀川左岸
【ポイント】
①.古くは、楠葉の語源と言わる崇神天皇(紀元前)時代の建波邇安王(タケハニヤスオウ)の反乱で「古事記」に出てきた渡し場。
②.「続日本書記」の和同4年(711)正月の条に楠葉駅が新設されたとある。
③.行基(668-749)が架けた山崎橋の跡地に楠葉渡しができたと伝わる。
④.京阪電車の線路工事で砲台跡も含めて淀川の護岸部分が改造された。
以上のことより跡地は判然としないが、久修園院の西側淀川左岸と思われる。
【関連写真】
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