ここでは、標柱(戊辰役橋本台場跡) について紹介します。

在所:国史跡楠葉台場跡公園内

【ポイント】

①.橋本台場の石碑は、昭和3年に三宅清治郎が父の三宅安兵衛遺志に従って建てた石碑

②.三宅清治郎は、父の遺志にもとづき京都一円の史跡に、400余基の石碑を建立。橋本台場もその内の1基。

③.枚方市では、他に樟葉宮の碑がもう1基ある。

【関連写真】

 移設後の三宅安兵衛建碑2017_04_05 金只 横堤防上にあった三宅安兵衛建碑2006_05_28 金只   

【補足説明】

 元は、久習園院の西方100mにあったが、その後横堤防の上に移設、史跡公園整備の際に現在地に安置された。

 碑には、「橋本砲台」と刻まれているが、橋本陣屋に付属した砲台であったために京都側から見てそのように思えたものであろう。

 三宅安兵衛は、天保13年(1842)若さに生まれ、嘉永5年(1852)京都井筒屋に奉公、慶応3年(1867)井筒屋から独立し、博多織の取り扱いで成功。

 晩年は隠居し、京都周辺の名所旧跡巡りを楽しんだ。

 三宅安兵衛は、長男清治朗に京都の公利・公益に使用するよう金1万円を託した。

 清治朗は、父遺志にもとづき、昭和5年(1930)までに京都とその周辺地域の名所旧跡に400基余の建碑を行った・

【参考情報】

wikipedia:三宅安兵衛