ここでは、標柱(日吉神社跡) について紹介します。
在所;岡東町17
【ポイント】
①.意賀美神社に統合される前にこの地に日吉神社があった。
現岡東公園の地・・・岡本町会館に掲示の絵図で確認
②.創建年代は不明。
③.創建の由来に2説
・淀川の洪水で流れ着いた日吉大社の神体を祀ったのが始まり。
・最澄が平安京の裏鬼門に当たるこの地に阿弥陀仏と日吉大神を祀ったのが始まり。
④.応仁の乱で焼失も枚方城主・本多内膳正正康が再興。
⑤.明治42年、意賀美神社に須賀神社と共に合祀され廃社。
【関連写真】
標柱(日吉神社旧跡)岡東公園前道路脇
2012_12_05 金只 山王大権現の額
(意賀美神社参集殿宝物庫)
2013_07_18 金只 日吉神社の鳥居額
(意賀美神社参集殿宝物庫)
2013_07_18 金只
【補足説明】
旧日吉神社の祭神は、オオヤマクイで山の神。古くは「山王大権現」と称し、「昔ある人が、流れ着いた日吉神社のご神体を家に持ち帰ったら、霊験顕著だったので氏神として祀った」とも、「伝教大師(766-822)が、平安京の裏鬼門に当るこの地に阿弥陀仏と日吉大神を祀り、「一乗寺」と「日吉神社」を建立し、王城鎮護の社寺としてたのがはじまり」とも云われている。
・山王大権現の額は、意賀美神社参集殿内に現存
・後段は一乗寺社伝より
大国主命の合祀由縁は不明だが、旧日吉神社に祀られていたともいう。比叡山麓・坂本に鎮座する日吉神社が、京都の鬼門を護る神あるように、枚方が京都の裏鬼門・(大阪からみると鬼門)に当ることから、当地に日吉神社が祀られたのかもしれない。
旧日吉神社の所在地は、枚方市大字岡(現岡東公園付近)にあった。