ここでは、歴史的建造物案内板 について紹介します。
在所:三矢町3-28
【ポイント】
①.ここでは、枚方宿歴史的景観維持制度で2002年~2011年に修復のものを写真で紹介。
②.1800年代末建築家屋の特徴。
・厨子(つし)二階 :街道沿いの町屋の表造り
大名の往来を上から見下ろすことが失礼として物置としての造りを許可。
・卯建(うだつ) :軒下火走り防止。うだつに家紋などを入れて時が立つにつれて権威の象徴となった。
・起こり(むくり)屋根:昔の庶民の家屋は殆どが茅葺のため軒先の水切りを良くするに取られた構造。
後に瓦葺き変わり、工事のやり易さから平屋根に変わっていった。
権力者(城、寺社、武家屋敷)は反り屋根構造を採用。
・虫籠(むしこ)窓 :二階の換気用
・漆喰塗籠めの壁 :延焼防止の目的で作られた壁。
・高蔵or段蔵 :浸水に備えたもので、家宝(嫁入り道具、祖先伝来の品)は高蔵の二階部分に収納。
・揚床机、吊り褥 :揚床机を日中は降ろして商品展示、吊り褥を日中は揚げて明かりとり、夜は上下閉めて防犯。
大名行列や祭礼の日には、揚床机を揚げて道路を広く活用。
・出格子 :街道筋を往来する牛馬の接触防止柵。
・格子窓 :明かり取りと防犯目的。
・長屋門 :蔵・納屋・使用人家屋と塀で連結された門を云う。豪農・豪商が防犯目的と権威の象徴として建築。
・棟門 :街道筋は長屋門が禁止されたので豪商などが権威の象徴として好んで作った家屋の棟部分のみで構成される門。
・竹矢来 :牛馬の接触防止柵。
【関連写真】
【補足説明】
①.町屋の変遷
中世では通常、平屋で板葺き切妻屋根に土壁の家屋が建てられ、江戸初期には、建ちの低い2階(厨子二階〈つしにかい))、袖卯建(そでうだつ)上げた家屋が標準化し、瓦葺き、漆喰塗籠めの壁を持つ町屋は1600年代末に現れる。厨子二階は、街道沿いに建てられた町屋の表に造られ、大名の往来を上から見下ろすことが失礼に当たるということから居間としてではなく物置として造り、使うことが許可されていた。
②.配置図上の建造物・・・◎印は枚方宿まちなみ景観建造物に指定年月日
・小野家:幕末期の建物、江戸期の町屋の特徴(出格子、上げ床机、釣り蔀(しとみ)、虫籠(むしかご)窓
2003年(平成15年)枚方宿歴史的景観維持制度で主屋修復
◎平成14年(2002)
・大塚家:幕末の遺構
2009年(平成21年)町屋の修景施設保存事業で主屋修復・復元
◎平成21年(2009)
・北村家:建物は約200年前のもの
2003年(平成15年)街なみ環境整備事業歴史的建造物 店舗併用住宅整備
◎平成15年(2003)
・-1交川家:元酒屋
2005年(平成17年)町屋の修景施設保存事業で主屋修復・復元
◎平成17年(2005)
・-2羽田家:元医者
2004年(平成16年)町屋の修景施設保存事業で主屋修復・復元
◎平成16年(2004)
・菊井家:1868年(明治元年)の遺構、家の西側更地からみると、町屋の特徴が良く分かる。
・表2階が低く、虫籠窓が確認できる。
・主屋、中庭(坪庭)、蔵の順に建っている。
2011年(平成23年)歴史的建造物として主屋、蔵の修復・復元
◎平成223年(2011)
・枚方太鼓蔵:枚方元町の蒲団太鼓を収納
2003年(平成15年)街なみ環境整備事業で整備
◎平成15年(2003)
・木南家:
◎平成23年(2011)
・村田家:明治中期・末期?の遺構
2008年(平成20年)街なみ環境整備事業歴史的建造物として主屋の修復・復元
・井上家:1853年(嘉永6年)の建築
2003年(平成15年)街なみ環境整備事業歴史的建造物として主屋の修復・復元
・奥野家:
2002年(平成14年)街なみ環境整備事業歴史的建造物として主屋の修復・復元
・田中家:
2002年(平成14年)街なみ環境整備事業歴史的建造物として主屋の修復・復元
・田中家:
2006年(平成18年)街なみ環境整備事業歴史的建造物として主屋の修復・復元