ここでは、法光寺 について紹介します。

在所:桂本三丁目21-19

【ポイント】

①.蓮如上人直弟子空善坊によって開基された。

②.宗派は、浄土真宗本願寺派。

【関連写真】

 法光寺全景2021_10_24 金只   門柱と由来2021_10_24 金只   

   由来書き2021_10_24 金只        表札(法光寺)2021_10_24 金只   

 本堂2021_10_24 金只   親鸞聖人像2021_10_24 金只   

   寺内の高崎達之助と法光寺の説明文   2021_10_24 金只   

 

【補足説明】

①.門前の由緒書きから

 当寺は文明7年信證院蓮如上人が河内国茨田郡出口に教化のみぎり当地在田中西右衛門なる信者の懇願により直弟子空善坊を開基とし、この地に居住せしめられることとなり空善坊は文明8年2月近江国志賀郡大津三井寺より自坊萬徳院を移されたのがその発祥であり空善坊捨身の霊場でもある。顕如上人直筆の当寺縁起によって深き勝縁にあわれることを希求し由来とする。  19世 釋空祥

 右宗祖聖人ご誕生8百年を記念し亡父、夫の永代経志として茲にこれを建立す。

 昭和48年12月2日  願主 寺前文代

②.高橋達之助氏と法光寺の説明版より

 高橋辰之助氏は明治18年2月、桂本にて誕生されました。

 氏が昭和17年に満州重工業の総裁にご就任なさった際、記念にご浄財をご進納いただきました。戦中のころとて、「天脾」を求め御本尊両横に安置ことが起縁に、昭和18年1月軍事資材として調達ました梵鐘の再鋳を求めるご門徒の声が高まる中で、氏のお姉様に当たる岩田マサ様のご助力を得て坂口吉松氏の懇願を基に門信徒各位の強い要望から昭和33年10月、氏の寄進にて現梵鐘が鋳造されました。

 昭和39年5月、氏の懇念を体して、甥の高橋栄夫氏が親鸞聖人700回大遠忌に役立てたいとして、ご尽力いただいたのが本堂内陣の大修復事業でありました。

 こうした中にあって、誠に悲しむべきことは、昭和39年2月、達之助氏との今生にてのお別れであります。

 しかいながらその後も、氏の尊いお心遣いは、甥の栄夫氏に継承され、昭和の本堂大屋根修復の寄進を発願され、吉川又三郎氏をはじめ門信徒各位の絶大な協力のもとに昭和61年5月本堂大屋根昭和大修復の感性を終え、現在に至る。