ここでは、洞ヶ峠茶屋 について紹介します。
在所:八幡市八幡高野道1
【ポイント】
①.山城国と河内国との国境を為す東高野街道の要衝の地。
②.光秀に助勢を頼まれた筒井順慶がこの峠で戦況を観望していた場所として有名。
「洞ケ峠を決め込む」の語源となったとの言い伝え
実際は、順慶は郡山城に篭城していた。
【関連写真】
入口付近の案内板2014_07_12 金只
案内板2014_07_12 金只
【補足説明】
①.洞ヶ峠茶屋前の説明版より
この峠は、京都府(山城国)と大阪府(河内国)との国境をなし、かっては東高野街道の要衝の地であったため、南北朝時代には男山・荒坂山とともにたびたび戦乱の舞台になった。
本能寺の変(天正10年(1582))の後、明智光秀と羽柴秀吉が山崎の合戦をした折、光秀に助勢を頼まれた大和郡山の筒井順慶がこの峠まで出陣し、戦況の有利な方に味方しようと観望していた場所として有名である。この誇示から日和見することを「洞ケ峠を決め込む」ともいう。
しかし実際には、順慶は洞ヶ峠まで出かけるどころか、光秀の誘いを蹴り郡山城に篭城していたという。それにもかかわらず、順慶は日和見主義の代表者の汚名を着せられ、一方、そのおかげで洞ヶ峠は天下に知れわたって伝えられている。
平成6年 枚方市教育委員会
【参考情報】
Wikipedia:洞ヶ峠