ここでは、津田氏一族の変遷 について紹介します。
【ポイント】
①.初代津田正信は、楠木正儀の養子となって(ウイキペシアより)頭角を現す。・・・津田城構築まで100年のギャップがあり疑問。
②.津田正信は、延徳2年(1490)に国見山山頂に山城を構築。
③.二代目津田正忠は、敬応寺との姻戚関係を強め勢力の拡大を図った。
④.三代目津田正明のとき三好長慶(ナガヨシ)に従い、北河内の三好勢の一大勢力となる。
⑤.四代目津田正時のとき、三好氏の分裂によって、松永秀久についたため、三次義継によって城は攻め落とされる。
⑥.津田正時は、三次義継に赦され津田城に復帰したが、織田信長によって天正3年(1575)にわずか4時間で落城。
⑦.その後、秀吉によって赦免され、津田山城に居を構えるも、光秀に加担したために再び滅ばされる。
※ 二代目正忠の妹(正信の娘)は、天文年間(1532年~1555年)招堤寺内町・敬応寺の蓮淳(蓮如の6男)に嫁いだ。
正時は、山崎の合戦の時招堤寺内町の人々を誘い、「本能寺」で信長を討ってくれた光秀側について参戦した。