ここでは、浄聖寺 について紹介します。
在所:安満北の町5-26
【ポイント】
①.宗派;浄土真宗本願寺派
➁.本尊;阿弥陀如来
③.寺の沿革
・観応元年(1350)楠正頼(阿問了願)が、に創建。
・寛永11年(1634)に本堂を焼失
・元文4年(1739)に第14世弁応が再建
【関連写真】
【補足説明】
①.門前の標石(浄誓寺沿革)より
浄誓寺は、大字安満にあり、安満山と号し、浄土真宗本願寺派にして、阿弥陀如来を本尊とす。
当寺開基楠正頼(阿問了願)は、南朝の臣 楠正成の甥 楠一族として楠正成、楠正行に従う。
健武3年、後醍醐天皇より吉野奥の院の阿弥陀如来像を賜り、正行の死後、本願寺第三世覚如上人の直弟となり、観応元年当村に浄誓寺を創建する。以来、寺門ますます栄え、下寺11、檀家は8百余りに及び、北山の緑と共に殿堂楼宇は〇〇を極めたるが、寛永11年、〇く鳥有に帰す。門信徒護持の念厚く、念仏と共に資材を寄進し、不断の努力によりて其の姿を取り戻す。
平成22年10月記 第25世 阿問文隆
➁.案内板(浄誓寺)より
浄誓寺は安満山と号して浄土真宗本願寺派に属し、阿弥陀如来を本尊とする。
寺伝によれば、観応元年(1350)南朝武士楠正頼が後醍醐天皇の勅により、本願寺第3世覚如(カクニョ)上人の直弟として剃髪、姓を安間(アマ)と改めて了願(リョウガン)と号し、旧領安満の地に当寺を創建したという。
以来堂宇を造営し、寺運は隆盛を極めたが、寛永11年(1634)に本堂を焼失、元文4年(1739)に第14世弁応が再建した。
境内には、庫裏、鐘楼、太鼓堂などがあり、、落ち着いた佇まいから往時が偲ばれる。
高槻市
【参考情報】