ここでは、清蓮寺 について紹介します。

在所:富田町四丁目1-4

【ポイント】

①.宗派 浄土宗

②.念仏堂が崩壊の跡地に、天正12年(1584)に創建。

【関連写真】

 標柱(清蓮寺)2022_06_20 金只   門前の案内板2022_06_20 金只   

 門前の案内板2022_06_20 金只   案内板の十六羅漢地蔵像2022_06_20 金只   

 

【補足説明】

①.門前案内板より

 清蓮寺は、池光山と号して浄土宗に属し、阿弥陀如来を本尊とする。

 当初この土地には念仏堂が建っていたが、地震で崩壊し、天正12年(1584)、紅屋(紅粉屋)の祖清水利重(シミズトシシゲ)が、良閑和尚(リョウカンオショウ)を招いて創建したと伝えられる。紅屋は、江戸時代前期に隆盛を極めた富田の酒造業における最大の酒造家として栄華を誇り、以来当寺は、清水家の菩提寺となっている。

 老松が枝を張る閑静な境内には、元禄7年(1694)造営された本堂をはじめ、庫裏や書院、鐘楼、表門などが現存する。また本堂西側の墓地には利重のほか江戸時代中期の文人入江若水(イリエジャクスイ)(1729年没)の墓もある。

 若水は清水家の一族で酒造業を営んでいたが、家業を離れて京都嵐山に退隠。以後学問を志して漢詩を学び、諸国を巡った。儒学者として知られる萩生徂徠の門人でもあり、著書に『西山樵唱(セイザンショウショウ)』がある。

 当寺には書画家の藤田友閑(フジタユウカン)(1677年没)が描き、生保元年(1644)に奉納した「十六羅漢像」が伝えられる。友閑は、富田の酒造家・大文字屋の出身で松花堂昭乗(ショウカドウショウジョウ)や龍渓(リュウケイ)に師事した。

【参考情報】

Wikipedia:清蓮寺(高槻市)