ここでは、熱田神宮 について紹介します。
在所:太秦中町11-1
【ポイント】
①.祭神:日本武尊
②.裏山は、秦古墳群
【関連写真】
大鳥居と額2023_04_05 金只
手水舎と裏山遊歩道入口2023_04_05 金只
神殿全景2023_04_05 金只
案内板2023_04_05 金只
拝殿2023_04_05 金只
若宮2023_04_05 金只
【補足説明】
①.現地案内板より
太秦寺跡
ここ熱田神社境内からは、昔から古瓦がでました。礎石に使用されたとみられる巨石が多く認められ、付近一帯が古代の寺院跡であることが知られています。出土した古瓦には重圏文軒丸瓦・唐草文軒平瓦があり、奈良時代後期から平安時代前期に属するものです。
秦・太秦は、寝屋川市域でも早くから人々が足跡を残した地域の人るであり、約1800年前の弥生時代には、丘の上に全国的にも有名な高地住集落がいとなまれていました。その後形成された古墳群(太秦古墳群)は、わが国の古代史に多大な影響をおよぼした秦氏の人々の墓と考えられています。また、昭和37年(1962)には、神社東の山の土取り工事中に全国でも珍しい牡鹿の埴輪(東部)が出土しました。
太秦廃寺の実態については不明なな天も多くありますが、「広隆寺末寺別院記」に記載されている「河内秦寺」にあてる説もあります。
寝屋川市
②.インターネット情報
太秦の字山崎に鎮座する熱田神社は太秦の氏神であり、日本武尊を祭神としている。(寝屋川市誌)
神社には次のような言い伝えがある。
古くは太秦には氏神がなかった。ところが室町末期の石山本願寺方に属していた一浪人が、泰秦の地に落ちついて寺子屋の師匠をしながら、おりにふれて自分の郷里(尾張国熱田)の熱田神宮の尊さを説いた。その話に感銘した太秦の人々は、相談のうえ尾張国熱田から神霊を氏神として勧請したという。
【参考情報】
インターネット:すてまわり(熱田神社)