ここでは、甲斐田八幡宮 について紹介します。

在所:枚方市甲斐田1

【ポイント】

①.甲斐田八幡宮(社寺改め帳1681年)と片鉾八幡宮を明治5年合祀

②.甲鉾八幡宮(カホコハチマングウは、甲斐田八幡宮ともいう。

③.本殿は、一間社流造・こけら葺・建立年月日不詳

  建築様式から17世紀中~後期(明暦~寛文頃)と見られる。

④.祭神は、品陀和気命(ホンダワケノミコト)(応神天皇)

⑤.甲斐田池を売却し、昭和56年にその浄財を以て八幡宮の拝殿・参道・社務所を新築した。

【関連写真】

 神社入口2015_11_12 金只​   鳥居2015_11_12 金只​   

   鳥居の額2012_11_30 金只​       拝殿・本殿・稲荷神社2015_11_12 金只​    

 入口の由来書2015_11_12 金只​     S56年再建由緒書き2012_11_30 金只​   

【補足説明】

①.現地案内板より

-1.当社の由来

 創建年月は不評ですが、古くから八幡宮と称される甲斐田村の氏神で、延宝9年(1681)の寺社改に「甲斐田村氏神 無年貢地 八幡宮 宮座2座、一座28人 一座に8人、合36人、此の内8人の一座は神主役不相勤、28人の一座より1年一人宛鬮(クジ)次第神主役相勤」とあり、さらに文化12年(1815)の文書にもこの宮について「・・・・右支配は村方2組座中間より宮守仕候」とあります。

 右の如く神主は本職ではなく、宮座の年番で神主役を奉仕していました。

 文政6年(1823)の神抵官領認可状にも、認可を得て威儀を正して奉仕した事が記されており、現在もこの宮守制度を維持して氏子総代が交代に奉仕しています。

 又、元禄4年(1691)の文書には境内地について「・・・八幡宮、縦58間、横48間」と記され、元の境内が2000坪の広大なものであった事がわかります。

-2.甲鉾の由来

 明治初期片鉾村の氏神八幡大神を合祀し、両氏地の頭文字を取って社名とし、明治5年村社に列せられましたが、片鉾村の八幡宮は同13年3月に返祀されています。

-3.境内の末社

・八王子神社 祭神 八王子神(すさのうのみことの5男3女神)

 元は現在地甲斐田町13番地付近の小山にありましたが、明治初年当社の境内に移転

・稲荷神社 祭神 保食神(ウケモチノカミ)

・金毘羅神社 祭神 大物主神(オオモノヌシノカミ)

 元は両社とも甲斐田長泉寺の境内にありましたが、明治初年の神仏分離令により当社境内に移転。