番田大樋門(西樋門) について紹介します。

在所:唐崎北端芥川左岸

【ポイント】

①.淀川右岸は、早い時代から淀川に流入する河川の扇状地の開発が進んだ。

②.流入河川は、田畑への給水の容易さを狙って、等高線に沿った流れに変更された。

③.流入河川の河床の上昇に対しては堤防の嵩上げで対応してきた。

④.流入河川は、いずれも天井川となって結果として田畑の排水が悪くなり低湿地帯となった。

⑤.江戸時代に入って高槻城主が田地の収穫の増産を狙って芥川河床下に排水路を設けたのが番田(芝生)樋門の始まりである。

※ 詳細は参照資料の番田大樋門を参照されたし。

【関連写真】

 大阪高槻京都線(14号線)下樋門2022_04_09 金只   記念碑2022_04_09 金只   

 記念碑の銘板2022_04_09 金只   大正15年の樋門2022_04_09 金只   

 

【補足説明】

①。記念碑より

 芝生大樋と番田井路は長い歴史のなかで、下流域を含めた水利を飛躍的に増大させた。

 水利のみならず」、京保年間(1716~1736)には玉川・安威川・神崎川を結んだ水運を利用して、大阪の下肥を芝生に運ぶ『芝生村尿船』が運航されていた。

 歴史遺産としての樋門と水路は、時代に応じた機能整備が行われて、いまも幹線水路として生き続けている。

【参考情報】

インターネット:番田大樋門