ここでは、番田大樋門(東樋門) について紹介します。
【ポイント】
①.淀川右岸は、早い時代から淀川に流入する河川の扇状地の開発が進んだ。
②.流入河川は、田畑への給水の容易さを狙って、等高線に沿った流れに変更された。
③.流入河川の河床の上昇に対しては堤防の嵩上げで対応してきた。
④.流入河川は、いずれも天井川となって結果として田畑の排水が悪くなり低湿地帯となった。
⑤.江戸時代に入って高槻城主が田地の収穫の増産を狙って芥川河床下に排水路を設けたのが番田(芝生)樋門の始まりである。
※ 高槻市東部の槙尾川右岸下の普賢寺の案内板に排水路設置の経緯の説明あり。
【関連写真】
【参考情報】
インターネット:番田大樋門
Localwiki:番田大樋門(西樋門)
Localwiki:普賢寺