ここでは、禁野本町遺跡公園 について紹介します。

在所:枚方市禁野北町

【ポイント】

①.奈良時代頃(西暦8世紀時代)に営まれた遺跡。

②.済王氏の住居跡を髣髴(ホウフツ)させる建物跡

【関連写真】

 公園全景2015_11_12 金只​   説明盤2015_11_12 金只

 井戸跡2015_11_12 金只​   現地説明盤切出し​   

【補足説明】

①.現地説明板より

 禁野本町遺跡は、奈良時代頃(西暦8世紀時代)に営まれた遺跡です。南方500mに位置する特別史跡百済寺跡の伽藍中軸線に続く南北道路と東西道路が交わる十字街(十字路)を中心に当時の町並が形成されていました。

 2004年の十字街の北東街区の発掘調査では、多数の掘立柱建物・井戸そして道路の跡が見つかりました。この調査では、正殿(せいでん)を思わせる廂付(ひさしつき)の大型掘立柱建物とその建物配置、木簡・墨書(ぼくしょ)土器などの出土遺物からみて、この付近一帯に郡街(グンガ)(郡役所)に関わる施設、あるいは郡司(グンジ)級の有力氏族(シゾク)の居宅が存在していたことが明らかになりました。有力氏族といえが百済寺の造営氏族である百済王氏(クダラノコニシキシウジ)が髣髴(ホウフツ)されますが、いずれにしてもこの百済寺の経営と密接な関係のあったことは間違いないものと思われます。

 この公園は十字街の北東部の一画にあたり、ここで検出された街区北側の東西道路、木簡・墨書土器を出土した井戸、大型掘立柱建物を含む範囲の遺構を地下にそのまま埋戻して保存し、その平面配置を地上に復元表示してあります。

 『地下に保存されている主な遺構

 東西道路 南北両端に幅0.4~1.6mの道路側溝を備えた東西方向の道路で、側溝心々(シンシン)間の幅は4.2mを測ります。主軸方向は磁北(ジホク)を基準にするとE-1-Sをとっています。なお掘立柱建物SB01の北東側で途切れる部分があり、街区北側の出入口と考えられます。

  井戸SE06 直径1.1m程の円形井筒を用いた井戸で木簡と多量の木簡削屑(ケズリクズ)、「少家」「小家」「□家」と墨書された土器が出土しました。

  掘立柱建物SB01 桁行(ケタユキ)5間(12.5m)、梁行(ハリユキ)3間(5.9m)の東西棟の身舎(もや)(74m2)に2間分に南廂(ミナミヒサシ)(出幅3.5m)の付く側柱(ソクバシラ)物で、建物主軸はE-1 -Sと、北側の東西道路に揃えられています。なおこの建物は井戸SE06廃絶後に立てられたものです。