ここでは、絵馬殿 について紹介します。

在所:南中振一丁目29

【ポイント】

①.壁面一杯に奉納された絵馬が掛かるが、全て中世の合戦の模様を描いているようです。

  かなり傷んでいて残念。

②.同絵馬殿にはさだ村で明示・大正・昭和にわたって使用された雲龍水型消防ポンプも展示されている。

【関連写真】

 絵馬殿額2012_04_12 金只   絵馬殿から社務所への階段2012_04_12 金只   

奉納絵馬の一部

 蹉跎神社(絵馬-1)2012_07_19 金只   蹉跎神社(絵馬-4)2012_07_19 金只   

 蹉跎神社(絵馬-5)2012_07_19 金只   蹉跎神社(絵馬-8)2012_07_19 金只   

明治・大正・昭和と使われた消火ポンプ

 展示の消火ポンプ(さだ村)2012_04_12 金只   説明文(消火ポンプ)2012_04_12 金只   

【補足説明】

①.現地案内板より(腕用pンプ、半鐘)より

 江戸時代の消防は破壊消防が主体であった勿論水を以ってする消火消防もとられていたがその時のポンプとして龍吐水型雲龍水型など当時としては最新鋭のポンプで明示になっても継承されていた。龍吐水型は俗に水鉄砲である。雲龍水型はポンプ自体に水槽をつけたものであって龍吐水型を改良され出来たもので明治初期にになるとイギリス、フランスばどから洋式ポンプが同ン通され明治元年には国産腕用ポンプが量産されこの当時の性能は吸水量一分間に一石五斗から三石五斗(270ℓー630ℓ)で、放水の高さ十五間(約27m)で価格は型によって血が違うが四百円前後であったという。このポンプは旧蹉跎村消防組で使用されていたもので、明治・大正と昭和十五年前後まで当地区内はもちろん遠くは寝屋川、枚方の火災現場まで高張提灯を先頭に手引きで行き火災が鎮火するまで何時間でもワッショイワッショイと頑張って消火されたと当時の関係者から聞き本当にご苦労さまでした。