ここでは、茄子作小学校跡地 について紹介します。

在所:茄子作三丁目

【ポイント】

①.明治14年開校、明治18年閉校・・・寿命4年の小学校

【関連写真】

 茄子作小学校跡地2017_10_09 金只   説明板(茄子作小学校跡)2017_10_09 金只   

【補足説明】

①.現地説明板より

 明治8年(1875)、村民待望の小学校が金龍寺境内に開校され、茄子作村児童は、私部村の無量光寺から茄子作小学校(仮校)に通うこととなりました。

 明治14年、ここ野口に敷地220坪に三つの教室を備える校舎(本校)が新設されました。翌年、隣に村役場もできました。

 明治18年に、交野郡南部の14か村の10小学校(茄子作・山之上・村野・私部・倉治・星田・寝屋・打上・燈油)が統合し、逢合橋東詰に交南小学校(現在の交野小学校の前身)が新設されたため、茄子作村児童は同校に通うこととなりました。村民の期待を集めた茄子作小学校は、新築後わずか4年余りで廃止され、校舎は星田分校に移築されました。

 短い期間でしたが、茄子作小学校はこの地域における近代教育制度の夜明けを物語る教育機関でした。

   2012年3月  枚方市教育委員会