ここでは、茨田(まんだ)堤の碑 について紹介します。
在所:寝屋川市太間町15
【ポイント】
①.日本書記によると仁徳天皇11年この堤は築かれたという。
②.昭和49年(1974)に淀川百年記念事業に関連してこの碑が建立された。
③.2カ所の工事が難工したため、二人の人柱を川の神に供えるとたとの言い伝えがaru.
【関連写真】
茨田堤の碑全景2022_09_25 金只
川敷公園への降り口2022_09_25 金只
茨田堤の碑2022_09_25 金只
碑文2022_09_25 金只
【補足説明】
①.現地碑文内容
茨田堤
日本書記に茨田堤の築造は仁徳天皇十一とあり、これは堤として本邦最初のものである。
築造は、難工事で強頚間、〇子断門の伝説がよくそれを語っている。
当寺、淀川は水量も多く平流れに広い土地を河通としてか、それを二流に分け、農地を確保したのが茨田堤で、一は現在とあまり変わらず西南流し、一は南流して生駒山の西辺で大和川と合流していた。
分岐点がこの碑の建つあたりと考えられる。また土佐日記でいう「わだの泊りの別れの所」も地点としてよいだろう。
【参考情報】
寝屋川市ホームページ:茨田堤(まんだのつつみ)
Wikipedia:茨田堤
インターネット:大阪発見 茨田の堤