ここでは、西谷大塔跡 について紹介します。

在所:京都府八幡市・・・

【ポイント】

①.初めて院政を開き権勢を振るった白河法皇の御願により天永2年(1111)に建立。

②.慶長10年(1605)には豊臣秀頼が再建。

③.明治の初め、神仏分離令で解体。

【関連写真】

 西谷大塔跡2019_12_04 金只   案内板(西谷大塔跡)2019_12_04 金只   

案内板より

 重文(根来寺の大塔)   配置図(西谷大塔跡)   発掘調査(礎石配置)   

【補足説明】

①.現地案内板より

 大塔は、天永2年(1111)に完成した巨大な仏塔です。平安時代後期、初めて院政を開き権勢を振るった白河法皇の御願により建てられました。

 慶長10年(1605)には豊臣秀吉の子・秀頼が再建します。その絵図面によると、現存する和歌山県岩出市根来寺の大塔(国宝)とほぼ同規模の、日本最大級の真言形式の大塔でした。側柱一辺14.9m、高さ27.1mもありましたが、今から約150年前の明治の初め、神仏分離令のため取り除かれました。

 平成22年(2010)の発掘調査で、塔の周りに四角く巡らせた雨落ち溝と、柱を支えた礎石やその抜き取られた穴が確認されたことから、大塔の一と大きさが正確にわかりました。現在、生垣の通路に見えている丸い花崗岩は、落ち縁(廊下状の縁側)の祖関です。

【参考情報】