ここでは、西車塚古墳(八角堂) について紹介します。

在所:京都府八幡市八幡大芝

【ポイント】

①.八角堂は、鎌倉時代健保年間(1213~1219)前善法検校祐清が男山の西谷に建立、一光千仏丈六阿弥陀を安置したことに始まる。

②.後に大破して慶長12年(1607)豊臣秀頼が小出吉政を奉行に再建した。

③.寛文年間(1661~1673)にも大破し、元禄11年(1698)に善法寺央清が勧進し再興した。

④.明治維新の神仏分離に際し、正法寺住職志水円阿に迎えられ本尊共に現在の西車塚古墳後円部上に移された。

⑤.令和元年(2019)5月、5年がかりの修復工事を完了。公開期日は限定(八幡市に要問合せ)

⑥.建物は、四角の四隅を切り取った隅切八角形で類例が少なくめずらしい。

【関連写真】

 八角院入口2014_07_12 金只   八角院入口標石2014_07_12 金只   

 八角堂(案内板)2012_09_25 金只   八角堂(お堂)2012_09_25 金只   

【補足説明】

①.現地案内板より

 八角堂は、鎌倉時代建保年間(1213~1219)前善法検校祐清が男山の西谷に建立、一光千仏丈六阿弥陀を安置したことに始まる。

 後に大破して慶長12年(1607)豊臣秀頼が小出吉政を奉行に再建した。建物の形状は正八角形ではなく四角の四隅を切り取った隅切八角形で類例が少なくめずらしい。古代中世に遡る石清水八幡宮寺固有の特殊な伝統を具現した唯一の建物として注目されている。

 八幡神の本地仏である本尊阿弥陀如来坐像(重要文化財)は、ヒノキ材寄木造、説法印を結び座す。座高283cm、13の化仏を配した光背は、5m近い巨大な像である。

 明治維新の神仏分離に際し、正法寺住職志水円阿迎えられ本尊共に現在の西車塚古墳後円部上に移された。

       2002年3月  八幡市教育委員会

【参考情報】

インターネット:一般公開しました八幡市