ここでは、説明板(禁野本町遺跡) について紹介します。

在所:案内板は保険センター入口

   遺跡の分布範囲は、禁野本町・中宮北町・上野3丁目ほか 

【ポイント】

①.1986年、市立保険センター建設に先立つ発掘調査による発見

時代:弥生時代~平安時代

種類:有形文化財 記念物 史跡 集落跡

遺構:竪穴住居・掘立柱建物・掘立柱柵・井戸・古墳周濠・土器棺墓・土杭墓・溝・道路・水田

遺物:弥生土器・土師器・須恵器・二彩陶器・緑釉陶器・灰釉陶器・瓦器・瓦(軒丸瓦・軒平瓦・丸瓦・平瓦)・木製品(折敷・柄杓など)・木簡 ・墨書土器・平面硯・馬骨

指定:2007年04月01日市指定文化財 遺跡

②.奈良~平安時代の大集落群で、百済寺の中心軸に一致する道路などの遺構や溝で囲まれた特殊な区画。

③.百済王氏(クダラノコニシキ)が枚方へ来る前に、交野郡の役所関係の施設が営まれ、同時にまちづくりがおこなわれていたもよう。

④.平安時代にも大型の建物が営まれ、「禁野」という地名から桓武天皇の「交野離宮」や百済王氏の邸宅街

 【関連写真】

 禁野本町遺跡分布図
(財団法人枚方市文化財研究調査会の2011/8/6報告書成果報告より)

 

 説明板全景2015_11_12 金只​   説明板内容2015_11_12 金只

【補足説明】

①.遺跡情報・・・インターネット(枚方市教育委員会)

 淀川低地を眼下にのぞむ台地上に広がる遺跡です。また、旧陸軍禁野火薬庫の跡地でもあります。

 遺跡の中心は、奈良~平安時代の大集落群で、百済寺の中心軸に一致する道路などの遺構や溝で囲まれた特殊な区画なども発見されました。井戸から「大領」などと記載された木簡や、「少家」などと、官職名どが墨書きされた墨書(ぼくしょ)土器なども出土。百済寺が建立される以前の特徴をもつ土器が多数発見されたことから、百済王氏(クダラノコニシキ)が枚方へ来る前に、交野郡の役所関係の施設が営まれ、同時にまちづくりがおこなわれていたようです。平安時代にも大型の建物が営まれ、「禁野」という地名から桓武天皇の「交野離宮」や百済王氏の邸宅街であった可能性もあります。

②.現地説明板より

 禁野本町遺跡は、1986年、市立保険センター建設に先立つ発掘調査による発見以来、160次余にわたる調査を実施し、中宮第2団地を中心とした南北約800m、東西役760mの範囲に及ぶ弥生時代終末から近世にかけての複合遺跡であることが明らかとなりました。

 弥生時代後期から古墳時代前期の竪穴式住居や古墳の一部、平安時代の掘立柱建物跡や井戸などを検出し、弥生土器・石鏃(せきぞく)、古墳時代の土師器・須恵器、奈良時代から平安にかけての二彩壷(にさいつぼ)・黒色土器・軒先瓦などが出土しています。

 また、近年の調査では、井戸内から黒色土器・緑釉(りょくゆう)陶器・硯などの生活用具が多数出土しました。

 そのほか多数の掘立柱建物群跡と南北方向・東西方向の道路遺構が数本確認されており、南北道路は百済寺伽藍の中軸線と一致し、東西方向の道路の一本と百済寺跡の北役550m地点で交差します。この交差点付近には掘立柱建物群が配置され成立時期からして百済王氏(くだらのこにきしし)がこの交差点を中心に碁盤目上にまちづくりを行った可能性が考えられます。                             2010年03月 枚方市教育委員会