ここでは、道標(前島街道) について紹介します。

在所:牧野坂二丁目4

【ポイント】

①.ここは、京街道と高槻、西国街道を結ぶ前島街道への分岐点。

②.大阪府道17号枚方高槻線としてその名を留め、長尾で宇治街道につながる。

③.前島の渡し場跡は、牧野駅西側の淀川堤防付近にあり、高槻市の渡し場は前島町にある。

【関連写真

 道標(左前島街道)2013_08_03 金只   道標(明治39年5月建立)2013_08_03 金只   

 牧野西町の前島渡しの案内板2013_12_29 金只

【補足説明】

①.牧野西町の現地説明板より

 古来以来、淀川には、対岸との往来のため多くの渡しがあり、近世の枚方には、北たから楠葉、下島、前島、磯島、枚方、出口の渡しがありました。橋のなかった当時はそれぞれ重要な交通機関で、「前島の渡し」は京街道と高槻、西国街道を結ぶ前島街道の一部でした。明治初期には、淀川の川幅180間を渡し一艘で運行していましたが、大雨などによる出水時には交通が途絶しました。

 渡し船が廃絶してからは、前島街道の往来は淀川で分断されましたが、現在は大阪府道17号枚方高槻線としてその名をとどめています。

 ここにある道標は淀川堤防上に建てられていたもので、「すぐ下 前島街道 渡場道」と渡し船を利用する人々の道案内をしていました。その役目を終えて後、地域の方々のご努力と関係機関のご協力により、平成元年にここに建てることができました。            2009年12月 枚方市教育委員会

 ※ この案内板で言う道標は、牧野西町にある。

②.明治36年 「大阪府誌 第四編」より

 三島郡高槻村大字上田部に於ける國道三號路線より起り、百三十八間にして高槻停車場に通じ、同村にて高槻街道と交叉し尚東進して大冠村大字東天川に至り天川の西堤防に上り東堤防より淀川の右岸に沿いて五領村に至り、大字前島の渡船により北河内郡牧野村大字阪に通じ穂谷川の堤防に上り國道二號路線に接続して終はる。其の延長一里四町三十一間にして路幅約壹間八分なり。高槻停車場より北河内郡枚方町の北部に通ずる捷路にして、地勢概平坦なりといへども穂谷川及び淀川堤塘前後に於いて少しく坂路あり、且、淀川の渡船の不便言う可からざるものあり其の出水に際しては時々洪漲の害を受け道路欠壊して交通を杜絶すること屡なり。