ここでは、道標(枚方街道) について紹介します。

在所:枚方市三矢町7丁目

 【ポイント】

①.枚方街道の起点。

 ・ここから枚方の渡しを経て高槻城→西国街道へ。

  ※ 枚方宿は天領であったが、高槻城主永井藩の預かり地であった為、この街道が頻繁に利用された。

②.この道標の建立時期は明示18年から明治36年の間

 ・当初は、西向き(後の道路整備時の間違い)

③.大正末期は、明治国道2号線。 

 ・当時は、バスも走っていた。

 ・当時のバスは10人未満の小型車であった。

④.余話:古老の話

 ・大八車の往来で賑い、枚方一の繁華街

 ・ここより南へ旅籠、馬継ぎ場、問屋場があった。

  国道2号線道路標石2016_03_08 金只​   道標(国道2号線)アップ2013_01_04 金只

  安居川河口樋門(渡し場跡)2016_03_29 金只   大塚の渡しの道標識(南面)2014_11_12 金只

 高槻城址東の辻の道標2016_10_24 金只​   

 【補足説明】

①.道路標石

 南面「すぐ 国道第二號路線 京道 左 枚方街道 渡場」 

    ※ 刻まれた文字より、再設置の際90度間違えたものと思われる。

 ②.枚方街道

 枚方街道は、大阪府誌によれば次のようなルートになっています。

 本街道は北河内郡 枚方町三ツ矢」における第二號路線に起こり、淀川渡船により三島郡に入り・・「高槻村を経て同郡芥川村大字芥川に至り是にて国道第三號路線に連絡す・・・」 

とありますので、この位置が枚方街道の起点のようです。         

  ③.国道2号線

 1).明治国道

  ・明治18年(1885)に、国道が連番形式として1号~44号が制定。

・国道1号線:東京~横浜港

・国道2号線:東京~大阪港・・・この道が枚方市内を通過

 2).大正国道

  ・大正8年(1919)、道路法公布

  ・国道1号線:東京~神宮(伊勢)

  ・国道2号線:東京~熊本経由~鹿児島県庁所在地

  ・(明治国道と同じくこの2号路線が枚方宿内を通る

 3).昭和国道

・昭和27年(1952)、道路法改正

・国道1号線:東京~大阪・・・東海道相当部分

・国道2号線:大阪~下関・・・山陽道相当部分

④.「枚方市史」より

 「本市域にバスの運行が始まったのは大正末期であった。・・・当時のバスは現在の大型乗用車くらいの大きさで乗客定員は10人未満であった。現在の岡本町商店街が当時京阪国道(旧京街道・国道2号線)としてバス通行できたのも車体が小型であったからである」

 ⑤.「枚方風土記 48ページ」より

 「昭和の初期に自動車交通が発展のきざしをみせ・・・京阪国道は・・京都側は昭和八年三月、大阪側は五月に完成した。枚方から京都府境まではほとんどが新設国道で・・・枚方市域内では泥町地先から天野川南詰までと、御殿山付近の一部を除く天野川北詰から船橋川を越えて樋之上に至るまで、それから京阪旧樟葉駅から府境までの三か所で新道がつけられた。

 また橋梁も天野川に鵲橋、穂谷川に牧野橋、船橋川に境橋(現樟葉橋)がそれぞれ元の橋より下手に新しく架橋された。」

この三矢町のこの道標が建立された時期は

1)表示内容からみると

・(国道第2号が表示されていることから)明治18年から

・(枚方街道渡場が表示されていることから枚方大橋が開通する)昭和5年までの間である

2)大阪府誌記載時期からみると明治36年までの間である

この間国道2号線は京街道を通っており、三矢町のこの道標を建立した折は表示面は西向きだった。

【参考情報】

Wikipedia 国道2号線