ここでは、道標(枚方街道;高槻淀川) について紹介します。
在所:大塚三丁目35
【ポイント】
①.枚方宿は天領であったが、その管理は高槻城主の永井藩に委ねられていたため、この渡し船が頻繁に利用された。
枚方宿からこの渡しを経由して高槻城に至る道は、枚方街道と呼ばれるローカル街道である。
また、この渡しから西の椿本陣に至る道も、茨木街道と呼ばれるローカル街道である。
明治に入ってからも高槻停車場から北河内に届ける郵便物の移送にも活用された。
②.道標の刻字
(北面)
・右(指差像)三島郡富田如是
・左(指差像)北河内郡枚方星田
(東面)
・右(指差像)枚方街道大冠高槻停車場島本西京
・左(指差像)茨木街道茨木富田三ケ牧鳥飼
(南面)
・右(指差像)河内國北河内郡
・左(指差像)摂津國三島郡
(西面)
・なし
③.枚方の渡し跡の考察・・・時代と共に移動したのか安居
・郵便屋の渡し跡としては、各種資料より淀川資料館の裏側?
・府道14号線より西側は明治時代に埋め立てられたので、江戸時代は14号線の内側の安居川の河口で本陣に近い枚方冷凍の裏側?
・戦後の米軍の航空写真で見ると安居川の河口の樋門の下に船溜まりがみられる?
【関連写真】
【参考情報】
インターネット:郵便屋の渡し跡
Localwiki:郵便屋の渡し碑
Localwiki:枚方の渡し跡