ここでは、遺構展示(旧毛馬洗堰と旧毛馬閘門) について紹介します。
在所:淀川資料館裏公園内
【ポイント】
①.明治40年(1907)旧毛馬洗堰と旧毛馬閘門が完成
・新淀川との分岐する大川(旧淀川)への水量調節と舟運のために構築。
②.昭和46年(1971)基本高水位が改定されるに伴い昭和58年(1983)、現在の淀川大堰は完成
③.日本の土木構造物の歴史に残る煉瓦づくり構造物として遺構を保存。
【関連写真】
(旧毛馬洗堰と旧毛馬閘門遺構2013_01_12金只
説明板((旧毛馬洗堰と旧毛馬閘門)2013_01_12 金只
【補足説明】
①.現地説明板より
大阪市内が水没するという大水害が明治18年(1885)、明治22年(1889)、明治29年(1906)と頻発しました。これを契機に淀川改修工事が行われ中津川沿いに放水路として新淀川が開削されました。同時に新淀川と分岐する旧淀川(大川)への水量調節と舟運のための煉瓦づくりの旧毛馬洗堰と旧毛馬閘門が明治40年(1907)完成しました。
しかし、昭和46年(1971)基本高水位が改定されるに伴い昭和58年(1983)、現在の淀川大堰は完成したため、洗堰と閘門は79年間の役割を終えて解体されました。しかし、旧毛馬洗堰と旧毛馬閘門は日本の土木構造物の歴史に残る煉瓦づくり構造物であり、現在も遺構としてその一部が現地(大阪市都島区毛馬町)に残されています。
ここに設置されている煉瓦は、遺構の一部として解体時に切り取り後世に残すため展示しています。煉瓦には、桜をかたどった刻印がなされたものなどもあります。刻印をもつ煉瓦は当時の製造技術ひとつひとつの「手抜き法」によって多くが製造されています。 平成16年設置 淀川事務所
【参考情報】
Wikipedia:毛馬の水門