ここでは、郡津神社 (こづじんじゃ)について紹介します。
在所:郡津一丁目7
【ポイント】
①.祭神・・・現地案内板より
・本殿
素盞嗚命(スサノオノミコト)、天照大神(アマテラスオオミカミ)、表筒男命(ウワツツオノミコト)、
中筒男命(ナkツツオノミコト)、底筒男命(ソコツツオノミコト)、息長帯姫命(オキナガタラシメノミコト)
・末社
金刀比羅大神、天神地祇、稲荷大神、貴船明神
・住吉明神
・天照大神
②.古代律令時代の交野郡衛(カタノグンガ)の跡地と推定される。
・古代律令時代(白鳳時代 645~710 )には、河内国には淀川付近に茨田(マッタ)、四条畷方面に讃良(サラ)と交野の三郡が置かれた。
・それぞれの郡の要衝には郡衛(グンガ)(郡役所)が置かれた。
・交野郡では、ここ郡津(ゴヅ)に郡役所が置かれた。
・この郡衛の中心には、長宝寺が建立され、周辺に一ノ宮(素盞嗚命)、二ノ宮(住吉明神)、三ノ宮(天照大神)が別々に創建された。
・長宝寺は、明治6年の廃仏毀釈令により廃寺となり、その跡地に三社を統合して郡津神社が建てられた。
【関連写真】
正面大鳥居2023_10_23 金只
郡津神社由緒2023_10_23 金只
社務所2023_10_23 金只
手水舎2023_10_23 金只
拝殿2023_10_23 金只
本殿2013_05_09 金只
長宝寺跡2013_05_09 金只
標柱(白鳳時代長宝寺跡)2013_05_09 金只
【補足説明】
①.現地案内板(郡津神社由緒)
当社は郡津の氏神様でその創建年代は詳ではありませんが、もと一の宮といわれ、白鳳時代(656~710)に当時交野地区で権力をふるっていた交野郡衛により、此の地に建立された大堂山長宝寺と共に、奈良・平安時代にかけて神仏習合の形で栄えておりました。ところが鎌倉時代の初め長宝寺は焼失廃寺され、一の宮だけがこの地の氏神進行の中心として栄えていた様でsります。明治時代に神社の統廃合が行われ、東高野街道西側の住吉神社を祀った二の宮及び、元郡津大塚の丸山古墳の東に天照大神を祀った大神宮が当社に合祀され、名を郡津神社と改められて今日にいたっております。
明治5年に村社に列せられ堂42年12月神餞幣昂共進社にされました。
恒例行事
1月1日 歳旦祭
2月下旬 祈年祭
10月16日 例祭(秋祭り)
11月下旬 新嘗祭
12月31日 大祓式
毎月10日 月次祭・誕生祭
【参考情報】
インターネット:古代の交野郡衛・長宝寺を訪ねる
インターネット:名所案内・郡津神社