ここでは、釈尊寺 について紹介します。
在所:釈尊寺町1ー10
【ポイント】
①.浄土宗知恩院末寺
②.開基は行基(668~749)。奈良時代中期の天平年間
③.平安時代に隆盛を極めた:七堂伽藍・12の坊舎・8間4面の本堂・寺領320石
・別院は金龍寺。鎮守は春日神社。
④.本尊「木造釈迦如来像」は、昭和45年大阪府の有形文化財に指定(鎌倉時代初期の製作)
【関連写真】
【補足説明】
①.現地説明板より
当寺の縁起によると、天平(テンピョウ)年間(奈良時代中期)僧行基の開基とされ、もとは行基寺と号しました。一条天皇の頃(平安時代中期)七堂伽藍、12の坊舎を備え隆盛をほこり、寺号を霊鷲山(リョウシュウザン)釈尊寺に改め、後一条天皇から霊鷲山の勅額を賜ったと伝えられています。その後兵火にあい次第に衰退しました。
本尊は、木造釈迦如来立像で、鎌倉時代初期の製作とされ、清涼寺式の代表的秀作で、昭和45年大阪府の有形文化財に指定されました。
東大寺の僧奝然(チョウネン)が宋からもたらし、京都嵯峨の清涼寺に納めた釈迦如来像は、多くの模刻(モコク)が作られ清涼寺式とよばれます。像高は約167cm。構造は赤栴檀(アカセンダン)色を塗布したヒノキ材、寄木作。なお、宝相華透彫(ホウソウゲスカシボ)りの光背(コウケイ)は享保21年(1736)に修理されています。 2004年3月 枚方市教育委員会
※ この釈迦像は80年後京都千本釈迦堂大報恩寺に、さらに若狭国小浜に移され、3年後、京都嵯峨清凉寺の本尊として安置された。世に「三国伝来の釈迦」として著名なる像である。
※ 当時の釈尊寺は七堂伽藍・12坊舎が備わり・本堂は8間4面の大きさで、寺領は320石と伝える。
寺は度々の兵火で衰退し、天保4年(1831)には火災に遭い、堂宇は灰燼に帰している。
元来無本寺であったが、享保16年1731)浄土宗知恩院末となっている。
※ 古記録によると茄子作の「白雲山 金龍寺」は当寺の別院で、同地の春日神社は鎮守という。
※ 奝然:平安中期、東大寺の学僧。天慶元年(938)京都生まれ。
永観元年(983)入宋。時の皇帝太宗は彼を国賓として待遇し、大師号や新印大蔵経などを賜って帰国。帰朝後、嵯峨に清涼寺を建て、三国伝来の釈迦像などを将来、安置した。長和4年(1016)に86歳で入寂。
[参考資料] 『枚方市史(昭和26年版)』