ここでは、野身神社(上宮天満宮) について紹介します。
在所:天神町一丁目15・・・上宮天満宮境内
【ポイント】
①.西暦4年(993)、太宰府の道真廟に参拝、「左大臣正一位追悼」詔を伝えての帰路、この地で神輿が動かなくなった。
占うと「この山上に祖廟があり、野見宿禰は菅家の祖である」とのお告げがあり、野見宿禰を式内社として祀ったとの言い伝えがある。
②.野見神社(上宮天満宮)の向背には古墳が存在する。
③.野見神社(野見町)は、元禄2年(1689)に疫病退散を願って牛頭天王社に合祀したものとの伝え。
【関連写真】
上宮天満宮鳥居横の野見神社2021_11_13 金只
神社全景2021_11_13 金只
【補足説明】
①.現地案内板(野身神社と宿祢塚古墳)より
土師器(ハゼキ)と呼ばれる素焼の壺や皿は祭祀用に用いられ、これらを製作する土師氏を率いる族長がノミ(祈み)のスクネ(真の根)と呼ばれ神に対する直系の長を意味する。
この日神山(ヒルガミヤマ)を北端として、東西1キロ、南に3キロの地域は野見郷と云いその族長が葬られ連綿と祭祀された。927年に制定され始めての法体系ともいうべき延喜式の神社台帳ともされる「神明帳」に記載されている神社を式内社とするが、野見宿禰を祀るのは4社(三河、尾張、因幡、及び当社)しかなく弊社の原点ともいうべき古社である。
そして明治12年以降かなりの間、この全域は、古名野見神社が正式名称であった。
日本書記の説話をもとに相撲の神様としての伝承も定着している。
車塚古墳
この天神山(日神山)には南北に四つの古墳が築かれている。
境内に二つの古墳があり、その一つが宿祢塚(野身神社)あと一つは参道を下り交差点を左に折れ、急な小坂を上がったところにあり、前方後円墳とハッキリ解る。
この古墳は元来当社境内地内であったが、道路建設の為分断された。
猪狩りの様子をあらわした動物埴輪が並んでいる。現在のものは模型であり、生け捕りの狩は角力の原義を示し巫女の角笛も見られ全国唯一の角笛埴輪である。
立ち寄って頂き野見宿祢とのゆかりをしのんでいただきたい。
【参考情報】
インターネット:野国街道野身神社(上宮天満宮)
Wikipedia:野見宿禰
Local Wiki:野見神社(野見町)
Local Wiki:片埜神社