ここでは、長尾陣屋跡 について紹介します。
在所:長尾元町2丁目 13
【ポイント】
①.旗本久貝氏(初代大阪城代、禄高5,000石)が領地支配の目的で、元禄2年(1689)に設置。
②.陣屋は、東西109m、南北54mで北角の街道に面した長屋門から御殿、代官、足軽詰所、蔵など。
③.当時の陣屋は、犯罪や訴訟事の対応は一任されていた。
しかし、裁判と刑の執行は、大阪の東西町奉行で執行。
【関連写真】
【補足説明】
①.菅原生涯学習市民センター 田中 史生氏の資料より
幕藩体制下、八田川(船橋川の上流部)流域の開拓を行い長尾を拓いた旗本久貝氏は、開拓を始めた寛永20年(1643)より46年を経た元禄2年(1689)、長尾に陣屋を設け、領地支配の出張所として代官2名を配置しました。陣屋の範囲は、東西109m、南北54mで北角の街道に面した長屋門(後、津田元町に移築。現存せず)から御殿、代官、足軽詰所、蔵など多くの建物がありました。なお、現存する長尾陣屋唯一の遺構として、津田元町の圓通寺に薬医門が移築されています。
この陣屋は、江戸で暮らす久貝氏の、領地経営のための現地事務所であり、内政を執る機関でしたが、司法権や警察権は持たされていませんでした。これは、大阪に近く、天領や大名、旗本の知行が錯綜する河内では、犯罪や訴訟事の対応が大阪町奉行に一任されていたためで、各々の陣屋での裁判や刑の執行は認められていなかったのです。罪人は大阪に送られ、東町・西町の奉行所で吟味された上で市中の刑場で処罰されました。