ここでは、順興寺実従上人墓所 について紹介します。

在所:枚方元町4

【ポイント】

①.実従

  ・蓮如上人の27子(末子)

  ・1498年出生、1564年没 66才。

  ・1550年に順興寺の寺号が与えられる。

  ・1559年枚方坊に入る

②.実従の日記「私心記」は、枚方寺内町の様子を今に伝える貴重な史料。

【関連写真】

 實従上人墓(全体像)2012_10_31 金只  實従上人墓(標石柱)2012_10_31 金只  .願生坊墓2012_10_31 金只  

​ 登り口全景2014_12_01 金只  説明板2014_12_01 金只  

​ 墓地裏の深い谷2014_12_01 金只​   

【補足説明】

①.現地説明板(蔵の谷古民家群裏側)より

 順興寺実従(ジツジュウ)は、浄土真宗中興の祖といわれる蓮如(本願寺8世)の末子で、明応7年(1498)に生まれ、永禄7年(1564)に没し、ここ御坊山(ゴボウヤマ)に葬られたと伝えられます。

 実従は、兄の実如(ジツニョ)(本願寺9世)や実如の孫である証如(ショウニョ)(本願寺10世)を助けて教化につとめ、天文19年(1550)には証如から順興寺の寺号が与えられました。

 永禄2年(1559)には枚方坊に入り、なくなるまでの約5年間を過ごしました。実従の日記「私心記(シシンキ)」は、天文元年(1532)から永禄4年(1562)までの30年間にわたって綴られた日録で、そのうち永禄3年と4年の記録は枚方寺内町(ジナイマチ)の様子を今に伝える貴重な史料となっています。

                                 2014年3月  枚方市教育委員会

②.墓所は、北端の一番高い所にあり、南端の意賀美神社跡地から舌状に伸びた高台が順興寺跡地と伝えられている。

 この高所の下には寺内町が広がり、江戸時代に入って京街道に問屋場ができたことから物資集積地として生まれ変わり蔵の谷と呼ばれるようになった。

 また、順興寺の後背地となる北側は、寺院を守るように広い屋敷の古民家が展開されている。

 この民家の配置は、招堤寺内町と非常に似通っている。