ここでは、順興寺跡地 について紹介します。
在所:枚方元町4
【ポイント】
①.延徳元年(1489)、蓮如が蔵の谷で草創。
「枚方御坊」・「谷御坊」と称し「枚方道場」とも呼ばれた。
②.永世11年9月、本願寺9世実如(蓮如5男)が坊舎を建立。
現枚方元町4.宮山の上あたり。
③.永禄2年(1559)12月、実従が石山本願寺より入坊。「順興寺」と呼ぶ。
④.永禄7年(1564)、実従死去。3男顕従が継承。
⑤元亀元年(1870)、石山合戦が始まる。8月に寺内町焼失。
顕従は、石山本願寺へ避難。
⑥.本山が、和歌山→貝塚→大阪天満→京都堀川と移転を続ける。
顕従は、常に行動共にし、枚方での再建はならず。
⑦.秀吉による本願寺移転に伴い、京都二条堀川で順興寺を再建。
⑧.天明8年1月に天明の大火で焼失。
⑨.昭和49年(1971)現在地(京都市右京区鳴滝)に再建。
※ 願生坊は、江戸時代に本願寺が東西に分割されたことから、東本願寺が西の御坊浄念寺に対抗して、慶長16年(1611)に蓮如上人縁の地「蔵の谷」に本山別院を建立したもので順興寺とは関係なし。
【関連写真】
蓮如上人旧跡標柱2013_01_10 金只 順興寺跡そのものを表示したものではない。
枚方市文化財研究調査会西田氏資料より
順興寺推定図(堀家氏資料より)